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葉咲 透織
葉咲 透織
novelistID. 38127
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ジェラシー・イエロー ~翡翠堂幻想譚~

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第三章 グレイゾーン




「遅い」
不機嫌な美人は迫力も増すのだ、ということを翔威は実感した。店でのギャルソン風の格好ではなく、紫がかったスーツに黒のカットソーというシンプルな服装の翠が開口一番言った言葉には素直に「ごめんなさい」と言った。
時間は夜の9時過ぎ。駅前は帰宅する人がぽつぽつといるくらいで、住宅街の真ん中のこの駅からどこかへ行こうという人はあまりいない。
「仕方ないじゃない。兄ちゃんたちがうるさいんだもん」
可愛らしさを狙って唇を尖らせるが翠は「ふん」と鼻で笑った。
こんな時間からどこへ行くつもりだ、私もお供します、ふざけるなお前が行っても翔威の言いなりなんだから危ないことさせるだろう? 貴方にだけは言われたくないです……などという口論をよそにそっと外に出てくるのがどれだけ大変かを翠はわかってくれない。最初から期待していなかったが、ここまでひどいとは思わなかった。
帰ったら二人にどれほど責められるか、と考えると翔威は震えた。
それを見て翠は自分の着ていたスーツの上着を脱いで、翔威に渡した。どういうことか、と考えていると、
「寒いんだろう? 馬鹿だなお前は。4月だからといって薄着をして。昼間とは違うというのをなんで考えてこられないんだ」
と心底呆れた口調で言われた。
翠が中に着ていたカットソーはぴったりとしたデザインで、翠の細さを強調している。
「別に寒いわけじゃ……」
「うるさい。もう行くぞ」
渡されたままの上着を翔威はどうしよう、と見つめて仕方がないから羽織った。
「翠さん……これ、ちょっと小さい」
「うるさいっ!」





幸いにして美咲の住む吉祥寺まではすぐだった。ファミリー向けの物件の多い街だが、美咲の住むマンションは井の頭公園方面に少し歩くらしく、駅まで彼女は迎えに来てくれていた。先日店で会ったときにはレースを多用したフェミニンな白のワンピースだったが、今日は打って変わって青みがかったチェックのシャツにデニムというシンプルな服装だ。他人に清潔な印象を与えるのがとことん上手n人間らしい。
「すいません。わざわざ。本当は井の頭公園前まで電車に乗った方がいいんですけど、人通りもあっちはあまりないので……本当に申し訳ないんですけど」
「いえ、大丈夫です。女の人ですからね、夜ひとりで駅で待つのも怖いですよね!」
翠は人当たりのよい笑みを浮かべているがコミュニケーション能力は翔威の方が優れているので、翔威が美咲の隣に立って歩く。翠はその一歩後ろを歩いていた。
十五分ほどで到着する。まだ建てられてから年数の経っていないマンションは外観も綺麗だった。女性専用というわけではないが、買い物にも便利な吉祥寺が最寄駅とあって、女性の単身者が多い。その5階が美咲の部屋だった。
「どうぞ」
電気がつく。部屋はワンルームで広くはないが、整理整頓されているので狭いとはあまり感じなかった。
女の子の部屋とか初めてだなあ、という思いをひた隠しにしながら翔威は辺りをぐるりと見回した。
するときれいになっているのに、本棚の漫画や小説は上下がひっくり返っていたり、巻数順に並んでいないことに気がついた。翔威の視線に気がついたのか、美咲は言い訳がましく「毎週地震で全部崩れてしまうので、面倒になってしまって、本棚だけは」と言った。
狭いキッチンスペースの食器棚にはほとんど何も入っていなかった。
「お気に入りの食器がたくさんあったんですが、全部割れてしまったんです」
今入っているのは、100円ショップで買ったのが容易にわかるプラスチック製の食器が何点かのみだ。
なるほどだいぶ参っているようだ。新しく気に入りの食器を買うこともできずに、ストレスが溜まっている。
翔威が美咲と話している間、翠はデジタルビデオカメラを三脚に設置していた。怪現象を後で検証するためだった。映りを確認して、そのままにしておく。
あと30分ほどで、問題の時間だった。時計の針が進むたびに美咲は落ち着かない様子になり、翔威も楽しく会話に興じている場合ではなくなる。翠は言わずもがな、寡黙である。
完全に全員が黙った瞬間、ピンポン、とチャイムが鳴った。あまりのタイミングの悪さに美咲のみならず翔威も肩をびくりと震わせた。思わず時計を見るが、まだ22時までは時間がある。
美咲は怯えながらも「行ってきます」と腰を上げた。何かあったら助けられるように翔威も立て膝で待機する。
「きゃ!」
小さな叫び声が玄関から聞こえたので翔威は「美咲さん!」と叫んで立ち上がった。しかしすぐに彼女の方から「大丈夫ですよ」と明るい声が聞こえたので、玄関の方へと向かった。
そこにいたのは、見たことのない女性だった。
「……どちらさまですか?」
翔威が言えたのはたった一言だった。



「ちょっともー! イイ男じゃないのっ、二人とも!」
やたらテンションが高い女だった。美咲が大人しく小さな可憐さを持っている人間ならば、この女は大柄でよく笑い喋り、華やかなタイプだった。美咲が妹タイプで彼女は姉、と大別できるかもしれない。
「もう、蘭子さん! 失礼ですよ!」
ああでも美咲の方がしっかりしていそうな気もするので、見た目と役割は逆なのかもしれない。
「美咲さん、こちらは?」
「すいません。あの、こちら同僚で……翠さんのお店を教えてくれたのも彼女なんですけど、鈴井蘭子さんと言います」
「どうも、初めまして」
きっぱりとした口調で握手を求めてくる蘭子は男性的でもあり、キャリアウーマンの素質があるのではないかと思った。
翠は「あなたが美咲さんに……」と言って握手に応じた。
「ええ。ただあなたのような若い方がやっているとは知らなかったけれどね。私も知人から聞いたものだから」
「そうですか」
翠はやや不機嫌になったが、美咲と蘭子は気がついていないようだった。
「それで? 今日はなぜここに……?」
「美咲が男の子二人家に連れ込むっていうから心配で」
「蘭子さん!」
ごめんごめん、と蘭子は笑った。
ふ、と見ると蘭子は手にビニール袋をぶら下げていた。結構な重さであることは見てとれたし、半透明な袋だったので中身もだいたいわかった。
「……あの、それ」
翔威が声をかけると蘭子は「そうそう忘れてたわ」と言いながら袋を自分の顔の辺りまであげた。
やっぱり嫌な予感しか、しなかった。



けらけらと笑いながら蘭子は美咲の持つ紙コップにビールを注いだ。そして自分はそのまま残った缶に口をつける。
翔威と翠も勧められたが翔威は未成年だったし、翠は仕事中だということで辞退した。ノリが悪いわねもう、と蘭子は言ったが特に機嫌が悪いとかそういうことはなかった。
蘭子は酒と肴しか買ってきていなかったので、翠と翔威は美咲の部屋の冷蔵庫にあった烏龍茶をもらう。
翠は黙っていたので翔威は自分の役割を果たすことにする。
美しい容貌を持つ翡翠堂の店主には、社会性がない。そしてある程度の常識もない。左の薬指にはめる指輪が特別だということを彼は知らなかった。高校生の自分でも知っているのに。彼一人だったらなんの情報も得られないだろう。翠からも「お前は愛想よくしてろ」と言われているので、笑顔で蘭子の買ってきたパスタサラダをつつく。