ジェラシー・イエロー ~翡翠堂幻想譚~
「調査の人イケメンでラッキーじゃないの。彼氏よりも素敵なんじゃない?」
蘭子がからかうように言ったので、翔威はすかさず「美咲さんの彼氏ってどんな人なんですか?」と口を挟んだ。
「え? 知らないの? 肉食系って感じのワイルドイケメンで、すごい仕事できるのよね。どこに勤めてるんだっけ?」
いつものことなのだろう、美咲は仕方ないといった苦笑を浮かべてとある商社の名前を言った。高校生の翔威でも名前を知っている、有名企業であった。その中でも忙しくしているということは、出世株だということだろう。しかも実家は宝石商だ。
「美咲さん、玉の輿なんじゃないですか」
率直な感想だったが美咲は「お金目当てで彼と付き合ってるわけではないわ」と毅然として言った。
「私も彼も数合わせで連れていかれた合コンで知り合ったんです。その後街でたまたま会って、お茶をして……すごくね、優しいの。でもリーダーシップがあって私を引っ張ってくれるから……うちお父さんいないから、そういう意味でも憧れてるのかな……とにかくすごく、好きなんです」
恥ずかしくなるほどの惚気に蘭子は「あついあつい」と言いながら手で自分を扇ぐ。
「それが一年前で、婚約したのってつい最近よね? いつだっけ、その指輪もらったの」
「三ヶ月前よ。蘭子さんにメールしたじゃない」
酒も入って饒舌になる美咲の言葉に、翔威と翠は図らずも目を合わせた。三ヶ月という符丁に何か意味はあるのだろうか。
「……22時だ」
翠が厳かに告げると、その場の空気が急に引き締まった。アナログ目覚まし時計の針がカチカチと鳴る音がやけに耳につく。しばらく待つが、何事も起こらない。
「……何事もない、ですね」
「ええ……いつもなら、この時間は揺れるんですけど……」
美咲も首を捻っている。
「まあ、何もないのはいいんじゃないの?」
蘭子はというとすでに緊張を解いて、新たなビールの缶を手にしていた。暢気なものだ。
「機械があるからかもしれませんね。本当に霊の仕業だとすれば、彼らは機械を嫌うので」
初めての心霊体験をするのかと思って気を張っていた翔威だが、翠が機材を片付け始めたのでもうこれで終わりだろう、と肩に入っていた力を抜いた。
帰りの電車は人がまばらだった。ここで幽霊がどうとかこうとか話すのは駄目だろうか、と翔威はそわそわした。人もあまりいないし、いたとしても居眠りをしている。静かにしていれば大丈夫だろうか。
「今日は結論が出せそうにないな」
翠が口を開いたので翔威はほっとして、話を続けた。
「ポルターガイストかどうか、ってこと?」
「ああ。そもそもポルターガイストはニセモノが多い。あるいは幽霊ではなく、怪異に遭遇している人間の超能力に起因していることが多い。本人は無意識だが」
子ども部屋でポルターガイストが多く見られるのはそれが原因だ、と翠は言った。幼い子どもたちは常識に囚われない。純粋な意志の力でありえないことを起こす。よく乳児や動物が何もない空間をじっと見つめて笑ったり、鳴いたりすることがある。理性の発達していない生物には不思議な力が宿っている証拠だ。
「尤も彼女はいい大人だからその可能性は薄い」
「んー……じゃあ、あの人は? 鈴井さん。あの人が来たからポルターガイスト起きなかったとかは?」
「まぁ可能性としてはアリだが……」
もっと怪しい奴がいるだろ?
翠は翔威を見つめた。やはりそう来るか。
「……美咲さんの、婚約者」
満足げに翠は頷いた。そのくらいわからないんじゃ、俺の助手としては失格だからな、と言った。
「お前、明日は暇か?」
「何言ってんの。明日は学校だよ」
翠はわずかに目を瞠って、「ああ、そうか……お前は高校生という奴だったな」と今更のように呟いた。知識の欠如、とでも言えばいいのか、誰もが常識として捕らえていることに翠は気がつかない場合が多い。アンバランスで、危なっかしい。
「でも部活とかはやってないから……そうだなあ。会社、新宿だっけ? それなら、17時半までには到着できると思う」
だからうっかり、協力を自分から申し出てしまったのだ。今回は美咲に「助手」として紹介されたから仕方ないとして、明日の仕事の手伝いまでする義理はないのに。しまった、と翔威は思わなかった。自然と手伝いたいという気持ちになっていた。
どうしてだろう。翠の顔を見ていると、不思議な気持ちになるのだ。
確かに男のはずなのに、翠の美貌は翔威を捕らえて離さない。性格は最悪。口も悪いのに、なんでこんなに、近くにいたいんだろう。
そのときは「まあ、いつも口の悪い連中に囲まれてるから、家にいるみたいな気分で安心できるからだろう」なんて、思っていたのだった。
作品名:ジェラシー・イエロー ~翡翠堂幻想譚~ 作家名:葉咲 透織