扉を開けたメール
花山の住まいの近くの定食屋で、彼は大好きなギンダラ定食をその店の老婆に注文すると、横の水槽をうっとりと眺めた。推定だが、幅三メートル弱、高さは一メートル半以内、奥行きは一メートル余り、という大きな海水魚用の水槽である。岩場に海藻がゆらめく中を、鮮やかなオレンジ色に、真っ白な縦縞模様のクマノミを始めとする、様々な彩の海水魚が泳ぎ回っている。
定食を老婆がにこやかに持ってきてくれた。ここの定食は非の打ちどころがない。ご飯は勿論最高の炊き具合だったし、味噌汁などは何杯もおかわりしたくなるくらい、上品なだしが効いていて美味い。添えられたポテトサラダがまた、単品で注文したくなるくらいの絶品だった。食事が済んで満足しても、彼は携帯電話の電源を切っていた。
花山は自分の安アパートに帰ると、冷蔵庫から出した発泡酒の缶を開けた。そろそろ気になって携帯電話の電源を入れると、案の定新しいメールがきていた。
「ご面倒でしょうけど、警察に通報して頂ければ、わたしは自由の身になれる筈です。
ただ、通報するだけ。それだけで良いのです。どうか、お願いします」
彼に限らず、眼の前に警察官がいれば、誰だって多かれ少なかれ、身構えるものではないだろうか。そう思うと、自分だけが特殊な人間だとは思わない。だが、花山は警察恐怖症と云う程ではないにしても、或る程度それに近い面を持っていた。
誤認逮捕、冤罪ということばが、そのルーツなのかも知れない。ニュースを見ていると、無実の人がそのために何年も服役させられる悲劇が決して珍しくない。「人間だから」ということば。「弘法も筆の誤り」そんなことばが、重大な誤りを擁護する場合は多い。
警察というところの価値観には、独特なものを感じる。交通事故の場合を考えてみても「故意または過失」という表現などはかなりふざけていると思う。「故意」のほうが「過失」よりも全然悪質なのに、同等に扱われていたりする。
財布を拾得して交番に届けたら本署へ連れて行かれ、何時間も取り調べをされたという噂を耳にしたことがある。そんな場合を考えてみても警察との関わりは極力避けたい。
花山はいつもそう思っていた。
「ごめんなさい。私は警察が嫌いです」
彼はそう、返信した。