花、無、世界
空は雲ひとつなく真っ青だ。絵の具を溶かしたように茫洋とした一色。青。
風はいつの間にか止んでいた。
私は屋上の床から立ち上がり、フェンスの方へと近づいていった。
柵から見下ろす風景はとても静かで時が止まったようだ。とても高い、小さな光景。高層の集合団地、公園、いつもと何も変わらない景色。けれど、生活感があるのに物音一つしない。
ここには人だけがいない。コンクリートの灰色世界。
これは私の記憶の世界だろうか。
静寂。とても懐かしく、寂しい景色。
私は地上を見下ろして、呼びかけてみた。あなたを、あの人を、私を。けれど、何の返事も返ってこない。ここには誰もいない。私はとても寂しく思った。
ああ、私は現実の世界が愛おしいんだ。
寂しくて、悲しくて、どうしようもなく愛おしい。
私が屋上にいる理由はうっすら分かっている。
私は死にたかった。私は消えてしまいたかった。けれど、私は生きたかった。どうしようもなく生きたかった。私は永遠を渇望し、けれど、無を望み、死を恐れる哀れな人間だから。私は永遠になれない、無になれない。それでも無に焦がれる。憧憬。焦燥や涙に似ていた。
屋上は無に近い場所。空に近い場所。
私は空を見上げた。
屋上から落ちる。
落ちてゆく落ちてゆく。青い空に落ちてゆく。
そのまま青に溶けて私は消えてゆけるだろう。
青い、青い、涙がこぼれそうになる。
どこまでも
青
落ちる。
…はっと私は錯覚から我に返る。
私は落ちたりしない。空に何てならない。
ふう、と息をつく。
そして、私はもう一度散った花の方を振り返った。枯れた花はやはり哀れに散っていた。植木鉢は壊れたまま。時は戻らない。時は止まっている。
私は花の方へゆっくり近づくと、散った花をそっと拾い集めた。両の手にひらに乗せて顔を近づける。
花よ、死んだ花よ。あなたは無なのか、永遠なのか。ただ、散ってしまった花よ。
ああ、花は生きている。枯れても、散っても確かに生きている。
私はあなたを愛したいと思う…。
私の目には涙がこぼれていた。
幾筋も水が流れる。
そっと
花に涙が落ちた。
その時ふと言葉が浮かんだ。とても馴染みのある言葉。
ぞくりと震える。
涙が浮かぶ。
心。