花、無、世界
私の瞳は濁っている。汚れている。けれど、本当はそんな自分を嫌悪しきれていない。否定したふりをしているだけなんだろう。
あなたの瞳が欲しい。れいの無の瞳。
あるとき。
あなたは私が触れることを許した。
許可した、というべきかもしれない。
それがどういった理由だったかは忘れてしまったが、ささいなことだった。私が物を貸してあげたとか、少し助けてあげたとかそんな些細なきっかけ。ほんの小さなこと。
あなたはその見返りとして(いや、きまぐれかもしれない)、私がその瞳に触れることを許したのだ。
私の醜い欲はあなたに気付かれていたのかもしれない。私のことなどあなたの無の瞳にはすべて見透かされてしまうのだろうか。
私には分からない。知らない。私はあなたのことは何ひとつ知らないから。なにも、しらない。
そして、私はその瞳に触れることを許された。許された私はどうしていいのか分からなくなった。瞳は壊れ物。生きた生命の「もの」だ。生々しく光ってそして生きをしている。
不用意に触れては傷つけてしまうだろう。
あなたの瞳は透明だ。透明の生き物ならば、私は生きた赤い舌でなら触れられるかもしれないと思った。
赤は命の色だから。
けれど、私はひどく困惑した。
本当に触れたいの?
私なんかが触れていいの?
お前など醜くてちっぽけな残骸だろうに。
あなたの瞳がこちらを見据える。うつろで何も映していないようなのに、すべてを沈めてしまうような深い闇色の瞳だ。
ああ、生き物はなんて気持ちが悪いんだろう。
あ、あ。生き物はなんて綺麗なんだろう。
すきとおった水がうっすらとはる。
瞳の小さな光。
反射する。
私はそっと、赤い舌で触れようと近づく。
あああ。透明の闇。真っ黒な闇色。無の世界。私の渇望する終わり。始まり。何もないというそれだけの瞳。
透明。
黒。
赤、赤。赤。
私の赤は生きていますか。
怖い。
ああ
けれど、
けれど、
私は、触れることなどできなかった。
そして、触れたくなかった。私が触れることで無が失われてしまうのではないかと恐れたから。それに、矛盾したことに私はその瞳を実際には欲していないのだろう。欲しくない、と思った。
触れたい、触れられない、触れたくない。
触れた部分から無の瞳が壊れていくと思った?私も汚れていくと思った?分からない分からない。何と馬鹿らしい妄想。
欲しいのに欲しくない。汚れて欲しくない、私は汚れたくない。全く訳のわからない涙の出そうな感情。身勝手だ。
あなたは何を思っているのか分からない瞳で私をじっと見ていた。その目が本当に私を見ているのか、どこか遠くを見ているのか判別はできない。私には無は分からない。
私は無にはなれない。
私はこぼれそうになる涙をただ堪えていた。