色の付かなかった夢
お前は初めて僕の前で口を開いた。
「あんたの夢なんだろう。自分で色を付けてみなよ」
そう言ってお前は使いかけの絵の具箱を、ギターケースの上にポンと置いた。
「あ、ありがとう」
僕は突然のことにそう答えるのがやっとだった。
「それから、これ」
お前は少しはにかみながら、一枚のケント紙を僕に手渡した。
これが最初で最後のお前との会話だった。
お前の声は思っていたより低くて太かった。
かすかに笑って見せたあと、お前は踵を返した。
初めて見せる小さな笑顔だった。
少々ふらつきながらお前は店を出て行った。
「今日は少し飲みすぎたのかな」
僕はこのときそれほど心配していなかった。
お前に手渡されたケント紙には、一人の美しい女性のデッサンが描かれていた。
透きとおった瞳に形の良い眉。
長い髪を真ん中から分け、小さな口元からは笑みがこぼれていた。
デッサンの右下には、”NANA”と記されていた。
恋人なのか家族なのか、まあそんなことはどうでも良い。
僕は早速そのケント紙を一番後ろの窓側の席の壁に飾った。
タバコの煙で黄ばまないように、安いフレームに収めた。
次の月曜日、お前はいつもどおり自分の指定席に向かった。
壁のデッサンにチラっと目をやると、何もなかったように席に着きタバコに火をつけた。
そしてその日を最後にお前は店に現れなくなった。
お前が姿を現さなくなってから約半年が経った。
この半年間僕はお前についての情報を集めた。
しかしこれといった情報もなく、悶々と時間を過ごすしかなかった。
そんなある日、ステージが終わってEdgeのマスターに呼ばれ衝撃的な知らせを受けた。
お前の悲報だった。
僕は耳を疑った。