色の付かなかった夢
第2章 出会い
1年前、僕は中年の駆け出しシンガーとして場末の酒場で歌い始めた。
毎週月曜日から木曜日の夜、安いギャラで雇われた。
週末の金土は、少しは名の知れたピアニストがジャズを弾いていた。
店の名前はEdge(端)。
まるで社会の端っこに追いやられた僕を待っていたかのような名前だ。
小さなステージにはピアノが1台。
席数は20席くらいだろうか。
客はここでビールやウイスキーを飲みながら、時折思い出したように音楽に耳を傾ける。
少人数で議論する売れない芸術家たち、一人でタバコをくゆらせる老人、労働者風の中年男など客の年齢層は高い。
僕の歌を聴く客は少なかった。
彼らはここへ来てそれぞれの人生を振り返り、立ち止まり、そして見つめ直していた。
僕の歌はそれらを思い出させるための道具に過ぎなかった。
木製の丸テーブルにはいくつものタバコの焦げ痕が残る。
壁には年代物の振り子時計と、中世のヨーロッパの風景を描いたタペストリーが飾ってある。
毎晩充満するタバコの煙で壁も窓枠もすっかり黄ばんでいた。
僕がEdgeで歌い始めて約1ヵ月経ったある日、お前は初めて店を訪れた。
一番後ろの窓際の席に腰掛けると、すぐにタバコの火をつけた。
ボサボサに伸ばした長い髪に白髪混じりの無精ひげ。
ぶっきらぼうで無表情だったが、その瞳だけは少年のように澄んでいた。
全身黒尽めの服は、ところどころ絵の具で汚れていた。
店のマスターに聞いて、お前が売れない画家だということを後で知った。
お前が来店するのは決まって月曜日の夜だった。
週末のピアニストに聞いてみたが、金曜も土曜もお前は現れなかった。
仏頂面でバーボンのソーダ割りを2杯だけ飲むと黙って帰っていった。
でもお前は他の客と決定的に違うところがあった。
それは、その澄んだ瞳を輝かせ、僕の歌を聴いてくれるところだった。
お前が来てくれるようになってから、僕のモチベーションは上がった。
月曜日は特にそうだ。
他のどんな客の拍手よりお前の拍手が一番嬉しかった。