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『喧嘩百景』第6話成瀬薫VS緒方竜

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 「薫ちゃんの高校三年間でたった一度の本気の一発よ」
 幅も厚みも一メートル以上はあろうかという巨大な石は縦にぱっくりと割れていた。中央部は石の表面が砕けて丸く凹んでいる。
 「……んな、アホな」
 竜はあんぐりと口を開けたまま立ちつくした。
 モルタルの壁に大穴を開けたり、コンクリートブロックを割ったりくらいのことは彼でもできる。しかし、相手は巨大な自然石だ。それを。
 「こん…なん、ウソや。こんな…」
 ――化け者(もん)か…、あいつ――。
 「緒方くん、構えなさい」
 彩子は一言だけ声を掛けて、竜に打って掛かった。
 「なっ、彩子はんっ、俺は―――」
 女とはやれない――そう言おうとしたが言えなかった。
 彩子の拳がとっさに構えた竜の腕をかいくぐって鳩尾に打ち込まれたからだ。重さは全くない。触れているだけだ。しかし、――速い。
 竜には彩子の躍るような動きが追えなかった。
 ――アホな。この俺が――――。
 彩子の拳が身体に触れるのにそれを払うことがどうしてもできない。
 竜が十発以上喰らってから
「薫ちゃんはあたしの数倍速いわよ」
最後に彩子の拳は竜の顔面で寸止めされた。
 「こん……な」
 竜はぎいっと歯を鳴らした。
 内藤彩子がここまでできるなんて。
 しかも。
 「なんで、殴らへんのや」
 手加減されていると考えただけでも竜は泣き出しそうだった。あれほどのスピードの打撃を全て寸止めするなんて。
 「ごめんなさい。でも、あたしとしても、殴り返してこない相手を殴るわけにはいかないのよ」
 彩子も竜が絶対に女を殴ったりしないことは承知していた。竜がその信条を通すというのなら、彼女にだって通したい信条はあった。
 それに。
 ――目的のためには手段を選ばず。
 いつだったかそう決めたのよ。
 「こんで、不戦敗を認めぇっちゅうわけか」
 竜は恨めしそうな声を上げた。
 「そうよ」――たとえ可愛い後輩を傷付けることになってもね。
 ――何でや。
 女に手加減されて負けを認めさせられるくらいなら、薫に殴られて負けた方がいい。何故あの男は自分でやらない。竜は悔しくて仕方がなかった。身体に傷を負うことは辛くはない、だが、こんなふうにプライドを傷付けられて黙ってはいられない。
 「嫌や、俺、絶対」