シリエトクの男
この日も無数の流氷が、知床の海岸を埋め尽くしていた。
「……はい。ああ……はい。じゃあ、今日は……」
男が携帯電話を切る。
悶々とする毎日をやり過ごす男の性欲が限界を迎えるというのに、今月の網走行きはご破算となった。
風俗嬢のSは、男に何も告げずに姿を消していた。
「なんか、一緒にいると安心できるんだよね」
Sはラブホテルで、こんなことを何度も口にしていた。
だから男は嬉しかった。
携帯電話を手にしたまま男は、現実と空想のはざまに立っていた。
情交は空想でしかなかったか。
呆然と立ち尽くすだけがやっとだった。
男は目を瞑りながら何度も舌打ちをし、自分を見失うように物にやつ当たった。
心臓の鼓動が高鳴るにつれ、はざまで擦れるような、軋むような音が、男の頭を駆けめぐる。
“ギギギ、ギギギ、ギギギ――”
蒔ストーブの窓から漏れる赤い光が、男の冴えない表情を際立たせていた。
気が付くと、軋んだ音は、くたびれた車のエンジン音に変わっていく。
バタン。
軽トラックのドアの音が、男を現実へと戻す。
父親は台所にいた男を目に留めることなく、いつものように何も言わず自室へ入っていった。
* * *
まだ信じたかった。
明くる日、男は仕事を休んだ。
半信半疑の気持ちを確かめようと、車を網走へ走らせる。
昼は網走のスーパーで働いているとSは言っていた。
男はスーパーの駐車場で、Sが出てくるのを待った。
Sはいた。
男が慌てて窓を開け、声をかけようとすると、Sが男の存在に気付いた。
始めは驚いた表情を見せるも、Sは次第に怪訝そうな目で男を睨む。
「あ……」
男の小さな声を遮るように、
「だからもういい加減にしてよ!」
Sは、かなぐり捨てるように吐き捨てた。