シリエトクの男
男が知床に戻った頃には、満月が真上まで移動していた。
雪はあがり、風も穏やかな静かな夜だった。
男は海辺の道路脇に車を停め、立ち小便をする。
ギギ、ギギ、ギギギ、ギギギ。
ギギ、ギギギ――。
男が海へ目をやると、月に照らされた無数の流氷が、擦れるたびに、軋むように鳴いている。
聞き慣れた『流氷鳴き』は、やはり、今の男の心情を代弁するかのようだった。
自宅に到着した頃には、月は雲に隠れていた。
エンジンを切り、車から降りた男が大きくひとつ深呼吸をすると、真っ白い息がはっきりとわかる。
紛れもなくそれは、一日の疲れを表していた。
家の玄関に近づくにつれ、トンコリの音色が聞こえてくる。
幻聴かと錯覚するほど、男の疲れは極限に達していた。
真っ暗な玄関で靴を脱ぎ、急ぐように部屋を目指すと、
薪ストーブの熱が少しずつ伝わってくるのがわかった。
「書き置きくらいしておけ」
父親は目を合わせずに、普段手にしないはずのトンコリをつま弾きながら男に言う。
「ああ」
男が応える。
トンコリに没頭する父親をしばらく眺めていたが、気が付くと目を閉じていた。
男は無意識に、幼い頃を思い出す。
吹っ切れたように口元が緩むと、この現実を噛みしめていた。
完