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拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ―

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(四) 唯在


 洋室十帖、クローゼット、キッチン三帖、風呂トイレ別のユニットバス。室内洗濯機設置可。ベランダ有り。外観は淡いブルータイル。二階建ての四部屋で、全部屋が角部屋。
 すぐ隣に、全く同じ建物がもう一つ。
 一棟は四部屋とも女性が住んでおり、もう一棟は全部屋が男性だ。
 駐車場は二棟で六台。使用は抽選だが、現在は五台分しか使われておらず、残る一台分は来客用として便利使いされている。
 自転車及び自動二輪用の駐輪場として設置されているトタンの屋根の囲いは、二棟で共用している。
 最寄駅まで徒歩十五分。最寄バス停は徒歩二分。最寄コンビニは、駅の反対方向に徒歩五分。駅前にも一軒コンビニがある。
 北側に、十五階建てを超える巨大マンションが立ち並んでいる。
 都市中心部の過密化を軽減するために新しく建設されたニュータウンは、完全に舗装・整備された高台の上にあり、晴れた日は市街地を一望できる。しかし、眺めたところで如何なる感慨も湧くものではない。
 大型ショッピングモールの誘致なども行われており、まだまだ発展の余地を残す場所である。

 太陽は、春の到来がそう遠くないことを告げていた。
 今まさに天頂に到達し、暖かな光を分け隔てなく注いでいる。
 南向きの大きな窓から差し込む光を浴びれば、その暖かさについつい眠りに落ちてしまったとしても、誰も責めることはできない。
 否。彼女は一人暮らしであるので、元より責める者がいない。

 氏名 三宮 葵
 年齢 二十四歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。

 葵は夢を見ていた。
 幼少の頃は、夢など見ることはなかった。
 夢幻世界“賽の河原”で指導を受けていた葵は、夢を見る暇がなかった。寝ても覚めても目の前にあるのは現実だった。
 葵にとって、それが当たり前だった。
 葵は、自分とは少しだけ姿形が違う者たちに囲まれて生きてきた。それらが妖怪と呼ばれる人間とは異なった存在であることを知ったのは、十歳の頃だ。
 それから間もなく、姉ができた。『これからは共に修行に励め』と言われ、姉ではなく姉弟子であったことに少々の落胆を覚えつつも、葵は喜んだ。
 そうして、葵が高校に通い始めるまでの数年間を共に過ごした。
 現在の葵は、“自分のために用意された姉弟子”であったことに気付いているが、怒りも悲しみも抱くことはなく、ふとした折に思いを馳せる大事な幼少の記憶となっている。

「……んぁ?」
 葵は寝ぼけ眼を擦りながら、大きく伸びをした。
「お、やっと起きたな。“てれび”をつけてくれ」
 青色の法被を着た男が、テレビの前から声を掛ける。
「早くを噺を聞かせるのじゃ」
 茶色の紋付袴の老人が、オーディオの前から呼び掛ける。
「さぁさぁ、昨日の続きを見せておくれ」
 赤色の和服を着崩す女が、ローテーブルに置かれた雑誌の前から呼び立てる。
 青が瀞丸(とろまる)、茶が苔生(こけむし)、赤が英(はなぶさ)。
 いずれも、葵が峠道で“お持ち帰り”した妖怪たちだ。一人一人が葵の器を超える妖怪であるため、葵の中は三人にとって狭苦しく、決して快適とは言えない。三人とも、何かにつけて外に出ようとするのだ。
 葵の家はちょっとした龍穴の上にあり、大地の精の補充には事欠かない。そのため、家の中にいる間は、消耗を気にすることなく三人ともが本来の形に近い状態で姿を表している。
 十帖の洋間とはいえ、自分を含めて四人もの大人がいれば、多少なりとも息苦しさを感じるもの。
 目覚めて早々に苦笑いを浮かべる日々も、七週目を迎えていればさすがに慣れもする。
 葵は、ローテーブルに置かれた二つのリモコンを操作し、テレビとオーディオに電源を入れてから、リモコンの下に積んであった雑誌を三つ並べて無作為に開いた。
 瀞丸はテレビがお気に入りだ。
 子供番組からニュースまで、どんな番組でも嬉々として見入るが、動きのある番組が特に好きらしい。
 苔生は落語を聞いている。
 何かの折に葵が落語から引用したことで、存在が気になったらしい。今のところ、古典や上方、亭号に対するこだわりはなく、万遍なく愉しんでいる。
 英は人間のファッションに関心がある。
 最初は道行く女性の髪飾りに目を留める程度であったが、対象が服飾全般になるまでに大した時間は掛からなかった。そのため、赤系の服を基本としているものの、黒いときもあれば、紫のときもある。青と茶、そして緑系を避けているのは、大人の事情だ。
 三人は、それぞれ違った形ではあるが、人間の社会に興味を抱いている。葵はそれが嬉しく、要求にはできる限り応えるように努めていた。
 三人は単なる妖怪だが、守護として建物に括られていたところを、葵が力技で連れ出している状態であるため、妖怪でありながらも幽霊のような存在になっている。
 分かりやすく言えば“幽体”もしくは“霊体”だ。
 つまりこの三人は、自力で雑誌のページを捲ることもできないし、オーディオの電源を入れることもできないし、テレビのチャンネルを変えることもできない。したがって、師の式・薄(すすき)のように家事を行わせることができず、ただただ厄介なだけの手の掛かる居候なのだ。
 だが葵は、この居候たちとの賑やかな生活を愉しんでいる自分にも、気が付いていた。

「これ、この前のあの娘と同じものだねぇ」
 英の声で我に返った葵は、雑誌に視線を落した。
 三冊のうち一冊は広告頁で、残り二冊は春の装いを紹介する頁が開かれていた。英の視線の先では、ばっちりメイクの女性モデルがカメラ目線でポーズを決めている。女性モデルが身に着けているのは、ゆったりしたロングニット、デニム素材のスリムパンツ、膝下までのロングブーツ。厳しい寒さが終わった晩冬から早春に着る服を紹介したものだ。
 葵には、英がどれに対して“同じもの”と言っているのかは分からなかった。同じ系統だが、同じ服ではない。そういうものはたくさんある。服にも、服以外にも。
 ただ、“この前のあの娘”が誰のことであるのかには、すぐに思い当たった。
「早苗はんなら、似合うやろな」
 葵には、友人と呼べる存在はいなかった。大学に入って初めてできた友人が、剣道部の塚原早苗だった。
 彼女は葵にとって初めての友人だ。
 初めての、人間の、友人。
 その頃、葵はすでに住む世界の違いを十二分に理解しており、常に線を引いて一歩下がり、必要以上の関わりを持たないように気を付けていた。
 言うなれば“店員と客”のような関係。
 葵は、そうするべきだと考えていたし、それでいいとも思っていたが、後ろめたさは拭えなかった。
 払拭できたのは、ほんの少し前のことである。
 誰にでも、隠し事はある。
 葵は、広告頁が開かれている雑誌の頁を捲った。