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拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ―

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 *  *  *

 足音は響かず、雪に溶け込む。
 薄く積もった雪には、足跡の一つもない。車が通った跡もなく、誰も住んでいないのではないかと思えるほどに静まり返っている。
 天気予報は午後からずっと雪だと言っていたが、既に雪は止んでいる。一番気温が高くなる昼過ぎの時間帯に降った雪は、明日までその形を残すだろう。
 雪道を歩く葵の頭には、小指ほどの大きさの髪留めが飾られている。
『これを持って行け。根本的解決にはならんが、時間は稼げるだろう』
 去り際、佐佑がそんな言葉と共に差し出した物だ。
 三分咲きの花飾り。魔力の類を三分の一以下に抑える働きをするが、装着者の同意がなければ効果を発しない。そのため、装着者の意思一つで簡単に解除できる。
 相手に自分の能力を低く見積もらせて油断を誘う、子供だましのような術具だ。
 絶対量が下がれば、維持のための消費も少なくて済む。放出量を制限するのであって、貯蔵限界を減らしているのではない。
 葵は、ほぉ、と白い息を吐く。
「効果はあったみてぇだな。随分と顔色が良くなった」
 綿飴のような物体が、葵の頭上に浮かぶ。
 ほのかに青色を帯びるそれは、峠道にいた三人の妖怪の一人で、名を瀞丸(とろまる)という。本来の姿は、角刈りに似た短髪に捻じり鉢巻、法被に晒巻き、足袋に草鞋履きという祭り好き男児の姿である。名にある瀞(とろ)は、河川において深く流れが緩やかな場所を指すのだが、性格とは一致していない。
「勝手に出てきたらアカンて」
「その髪留めがどれぐれぇ抑えるものなのか、確認しときてぇと思ってな」
「バス停までやで」
「合点承知」
 遠くで鳴る電車の警笛が、駅までの長い道程を思わせる。バスに乗るとはいえ、バスまでも遠い。予報が雪でなければ、バイクで訪れていたところだ。
 しかし葵は、雪で良かったと思った。
 こんな平和な住宅地に、エンジン音を轟かせるのは忍びない。
「しっかし、すげぇのと知り合いなんだな」
「“アレ”を知ってるんか?」
「いや、知りやしねぇけどよ」
「ちょいと手を貸したことがあるんや。それに恩義を感じてくれはって、少し前までウチを手伝ってくれてたんや」
「少し前まで?」
「詳しくは聞いてへんけど、先約なんやと。あ、今のは他言無用やで?」
「気に入られてるみてぇだな。もしおれたちが取り憑いている妖怪だったら、あの場で喰われてた。一瞬だったけどよ、おっそろしい殺気を向けられたぜ」
「せやったら、なおさら解決策を見つけなアカンな」
「頼むぜ」
 葵は、ふよふよと浮かぶ瀞丸をじっと見つめた。
「どうした?」
「オーバーソウルできひんかなーと思って」
「なんでいそりゃ?」

 バスに乗り駅前へ。
 電車が出発したばかりであることを確認し、一通りの落胆を行った葵は、さてどうしたものか、と駅前を見渡した。
 平日昼過ぎのバスはほぼ無人であったが、駅前の広場にはちらほらと人の姿があった。積もった雪はまだ踏み分けられていない。
 駅ビルのようなものはなく、商店街のアーケードがあるわけでもない。空は相変わらずの寒色を広げ、行き交う人々もまた、身を縮め息を潜める。
「寒いわ」
 葵は、駅構内の改札に程近い柱に背中を預けた。
 一先ずどこかで暖を取りたいと思うものの、別段小腹が空いているわけでもなく、周囲に居並ぶ食事処の暖簾をくぐる気にはなれなかった。
 改札を抜けた先のプラットホームは、屋根こそあれど吹き曝しと変わらず、風を遮断する待合室も設置されていないため、発車直後の今は無人となっている。
「なぁ、見張られてるぜ?」
 綿飴状の瀞丸が、葵の体内からにゅっと染み出してきた。
「せやから、勝手に出てきたらアカンて。気付いてることに気付かれてまう」
 葵は瀞丸を鷲掴みにし、体内に押し戻そうと試みる。
「そいつはすまねぇ。けどよ」
 瀞丸は綿飴状の身体の一部を突起させて、葵の左側を指した。
「ひと気のないところで話つけたろ思てたんやけどな」
 葵を見張っていた二人の男女が、肩で風を切るように歩み寄って来ていた。
 二人とも大学生風で葵より年下。男は茶系のダウンジャケットにジーンズ。女はカチューシャに赤縁メガネ、白のトレンチコートに膝丈のブーツ。コートとブーツの間に、黒のレギンスが見え隠れしていた。
 葵は近づいてくる二人に目をやりながら、反対側にも気を張っていた。
 あと十歩という距離になったところで、男が足を止める。並進していた女は、それから三歩進んで足を止めた。
「ハジメマシテ。三宮葵さん」
 葵は返事をせず、背中を柱から離した。しかしまだ正面に向き直ることはしない。
「お名前から聞かせてもらおうかいな」
 女はにっこりと笑う。
「私はアストレア。後ろの彼はカムイ。私の護衛役よ」
 アストレアと名乗る女は、どこをどう見ても日本人であった。それは、紹介を受けても表情を変えず、葵の全身が見える位置から僅かな動きも逃すまいと注視を続けているもう一人の男も同様であった。そしてもう一つ。二人は葵と同じ世界の人間であった。
「一緒にきて。話があるの」
「断ったら?」
「日を改める」
 女は笑った顔のままだったが、『断れない状況を作ってからまた声を掛ける』という意思がはっきりと見えていた。
 葵は、背筋に走る悪寒を無視することができなかった。
 目の前の女から伝わってくるのは、自信だ。それも絶対的な自信。怖いものなど、できないことなど何もない。自身の無限の可能性を信じているのではない。現在の自分が優れているという自負によるもの。無知と経験不足による慢心。それは“若さ”と呼んではいけないものだ。
 若さは刺激を吸収し変化するが、慢心は排他を行うのみ。両者は決定的に異なる。
「ま、ええか。このあとの予定もあらへんし」
 葵は断ることもできた。
 初対面から威圧的で、脅迫めいた言動と振る舞いとを見せる相手に、信など置けようはずがない。“危うきに近寄らず”は身を守る最も効果的な方法の一つだ。
 断ったとしても、後日また何らかの威力を持って再来するであろうことは疑いようがない。ならば、“危うきに近寄らず”を相手側の心胆に刻み込んでやればいい。そして、刻み込むのは相手側の頭領でなければならない。
 葵は、目の前の女がただの使いっぱしりであることを見抜いていた。
 倣岸不遜な態度や安い挑発は、案内役として相応しいものではない。つまり相手は、葵がどのような行動を取るのかを見極めようとして、敢えてこのような接触を図ったのだ。
 目の前の女は捨て駒。後ろに控える男が真の案内人。
 葵はそう理解していた。