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拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ―

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(三) 正義


 雪の深々と降る様子を眺め、女は物憂げなため息を落とす。
 窓の向こうは一面の雪化粧。ただ白く、ひっそりとしている。
 断熱加工が施された窓、温度と湿度を調整された室内。人はそれを快適と呼ぶが、快適とは自然からの乖離でもある。
 快適が常となれば、それまでは常であった快適ではない状態を嫌厭するようになる。
 便利という名の魔性が起こす、価値観の変動だ。
 善悪に関する判断基準のほとんどを価値観に委ねる人間には、抗うことのできない魔性である。
 人間の社会から失われてゆく現実。
 それが時代の潮流であるならば。
 それが時代の潮流であるとしても。
 思いは千差万別である。深々と降る雪の如く、地に至れば同じ雪。解けて混ざり合い、消えゆくのみ。
 目に見えずとも存在を感じることができる。自然とはそういうものだ。

 女は、足音を消して近づいてくる気配を背後に感じ、視線を室内に向けた。
 黒のレザーソファー、木目のローテーブル、白のラグマット、部屋の角には観葉植物。誰がどう見ても、高級感に満ちた“お金持ち”の家である。
 そして女は、自嘲気味に笑った。
「現実っちゅうのんは、残酷やな」

 氏名 三宮 葵
 年齢 二十四歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。
 尤も、ここ一ヶ月は師匠と顔もあわせていない。仲違いをしたのではなく、家に帰っていないだけだ。屋敷を訪ねても、本人はおろか、式の一人もいない状態が続いているのだ。
 葵は、師の現状に心当りを持っていそうな人物のもとを訪ねていた。

「待たせたな」
 低く渋みのある男の声。
 長く黒い髪を無造作に後ろで纏め、着古したシャツとダメージジーンズといったラフな恰好をしている。
 手にしたトレイには、二人分のティーセットが置かれていた。
「紅茶は得意やないねんけど」
「玉露を用意してある」
 確かにその通り、ローテーブルに置かれたトレイからは、紅茶とは違う玉露独特の香りが漂っていた。
 男が茶を入れる動作はとても優雅で美しい。その所作には何処かしらの流派の影を感じるのだが、本人曰く、誰の教えも受けていない、とのことだ。
「猫舌やないのんか?」
「まさか」
 通常の茶とは違い、玉露茶は低温の湯を使用する。玉露の特徴である甘味を引き出し、苦味を抑えるためのものだ。
「けっこーな御点前で」
 心は篭っていないが、葵の本心である。器がティーカップでなければ、正直に美味しさを讃えていただろう。
 使われているのは、イギリスのアンティークティーセットであり、見る人が見れば嘆声を漏らす逸品でもある。
 カップをソーサーに戻し、葵は目の前の男をまじまじと見つめた。
「何だ?」
「“鈴木佐佑”やったっけ?」
「“草薙”姓は、あやつが受けた名であるからな」
「にしても、もっと他にあったんとちゃいますのん?」
「猫に鈴を着けたのだとさ」
「イマイチやなぁ」
「とにかくな、葵」
「なんやのん?」
「全国の鈴木さんには謝れ」

 ここは関西屈指と謳われる高級住宅街。電線の類は、すべて土中化が済まされている。
 閑静な、と言えば、良い印象を抱く者も悪い印象を抱く者もいるだろうが、近くには大型トラックの通り道がなく、夜な夜な爆音を響かせる迷惑極まりないバイクもいない。人口密度が低いため、選挙前に発生する街宣車も近寄らない。
 本当に静かで平和な街である。
 そして、指は二十本あるものだということを忘れてはならない。

「化け猫やのに、こんな“ぶるじょわ”な家に住みよってからに。知らん間に美人の嫁さんまでもろてるし」
 葵はソファーの背もたれに寄り掛かり、唇を尖らせる。
「クロとの馴れ初めは、折を見て聞かせてやろう。しかし、そんな話を聞きに来たのではないだろう?」
「そーやった。で、お師匠はんは何してはりますのん?」
「知らん」
 佐佑は笑顔でキッパリと断言する。
「あやつが富士の樹海に出向いておるのは知っていよう? そこで何をしておるのかは知らん」
「さよけ」
 葵は、ずずっ、と音を立てて茶を啜る。
 もともと期待はしていなかった。葵の顔にはそう書いてあった。だから、落胆もなければ驚きもない。
「急用でもあるのか?」
「そういうわけやないねんけど……」
 珍しく語尾を濁した葵に、佐佑は思いとどまっていた言葉を投げる。
「手に負えぬ物の怪にでも取り憑かれたか?」
「あれ? 出してへんのに。ちょっとした事情があって式の契約をしててんけど、分かってまうんや?」
「式? 式として契約しておるのなら、その者は主の波長に溶け込む。故に、その存在は容易く悟られるものではない。波長が乱れている、というよりは、内側から乱されている印象だ。まさか、契約の術式を誤ったか?」
 葵は、先日の峠道での出来事を話した。
「三匹同時にだと? それも自分より強い力を持つ妖怪と契約したのか」
 佐佑は身を乗り出して葵に迫った。
「契約する直前までは、吹けば消えるような妖力やったんで」
「バカなことを。お前の器量では回復どころか維持することもできまい。精気を吸い尽くされて死ぬぞ。強い式であれば未練もあるだろうが、身の丈に合わせよ。過ぎた力は我が身を滅ぼす。それが分からんわけではあるまい。契約解除だ」
「いやーそれがーそのー」
「土地神の守護をそのまま移植しただと!?」
 あははは、と葵の乾いた笑いがこだまする。
「だから力を取り戻さねば呪縛は解けぬのか。ならば、近隣の龍穴へ赴き、大地の精を吸いあ……まさか、最近ここらの龍脈が荒れているのは……?」
「ウチもそう思ったんや。せやけど、なんぼ吸い上げても満タンにならへんねん」
 この一ヶ月、葵は近隣の龍脈を訪れ、龍穴から大地の精を吸い上げてきた。勿論、その土地に悪影響が及ばない程度には抑えてあったが、尋常な量ではない。
 佐佑は頭を抱えて俯いた。
「葵を介しておるから、吸収効率が悪いのだな。しかも三分割となれば、流失する精も多かろう。あやつなら、術式を書き換えるなり呪縛を消すなりして対処できるのであろうが……それを望んではおるまい。自分の手で始末をつけたいのだろう?」
 葵は無言で頷く。
「あやつにダメだと言われたらどうするのだ」
 仮定に意味はない。意味はないが、意義はある。佐佑が訊ねているのは、手段ではなく覚悟の有無だ。
 『失敗したときのことは考えるな』とは、退避経路を用意してある場合にのみ言える言葉である。『ネガティブイメージにより集中の欠落が生じる』などの言は詭弁でしかない。 そのような詭弁を振るう者は、眼前の些事のみを注視している視野の狭い者であるか、己の方策の穴から注意を逸らそうとしているのだ。
 勿論、スポーツなどの自分との戦いが介在する物事については、この限りではない。
 葵は何も答えなかったが、目を逸らしはしなかった。