拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ―
* * *
ライムグリーンのボディから溢れ出す、単気筒エンジンの音と振動とに身を任せながら、曲がりくねった山間道をひた走る。
ヘッドライトが照らす夜の峠道には、木枯らしに吹かれた落葉が舞う。
今夜は、峠を攻めるバイク乗りたちが集う土曜の夜。
中継地点となる広場に向かうバイクとすれ違う。荷台にバイクを積んだ軽トラックまでもが広場に向かい、土曜の夜という峠を迎えんとしていた。
葵は、対向車の灯りが見えないことを確認して、僅かに速度を上げた。
山間道の入口には、僻地特有の広い駐車場を持つコンビニエンスストアがある。バイトの店員がジャージ姿であるなど、非常に緩い接客を行う店ではあるが、一帯には競合相手がいないので経営者も特に気にしてはいない。市街に向かって少し進んだ位置にもコンビニエンスストアがあったのだが、今は貸店舗の看板が掲げられている。
コンビニエンスストアの広い駐車場は、いわゆる待ち合わせ場所だ。ここで仲間や知人と合流し、山間の広場へと向かう。
駐車場には照明などないが、店自体が充分な光量を誇っているので、店の裏側にでも回り込まない限りは、暗闇の中に取り残されることはない。
葵は、店正面のスペースにバイクを停止させた。
自ずと周囲の視線が集まる。女性ライダーは決して珍しくはないが、あわよくば、と下心を抱かない男の方が希少価値は遥かに高い。
葵がお茶を買って戻ると、一人の男が葵のバイクの傍に立っていた。
「やぁ。キミ、見ない顔だね」
人当たりの良い笑顔で話し掛けてくる男に、葵は一瞥することすら行わない。
「アンタはん、常連さんなんや?」
葵は小声で呟く。
「うん? まぁそうだね」
「ここを仕切ってはる人に会いたいんやけど」
「悟さん? 今日はまだだよ。もっと遅い時間にならないと」
「せやったら、伝言を頼んでええかいな」
「番号を教えてくれたら、こっちから掛けるよ。直接話したいよね?」
「“峠の幽霊はもう出ない”や。間違いなく伝えてや」
葵は男の問いを無視して、バイクから離れるようにと仕草で告げる。
「なんだいそれ。ま、伝えるけどさ。せめて名前を教えてくれないかい?」
「偽名やったら、いくらでも」
葵がヘルメットを被ると、ふられたな、と周囲から男に対して冷やかしが飛んだ。
葵は構わずバイクを発進させ、市街へと向かう。
貸店舗の看板を掲げたコンビニ跡付近で、数台のバイクとすれ違う。その車種はレーサーレプリカから原付バイクに至るまで多種多様であり、統一も関連もあったものではなかった。
バイクの一団がミラーにも映らなくなったところで、葵はバイクを止めた。
「今の一団、人間じゃなかったみてぇだな」
若い男の妖怪の声。姿はなく、ただ声だけが響く。
「近隣の妖狐さんたちや。峠道の常連さんらしいで」
「言われてみれば、見覚えがあるのぅ。あそこは妖狐の支配地域になっておったのか」
翁の妖怪の声。同じく姿はなく、声だけが聞こえる。
「仕切り屋さんはただの人間やで。ここらの妖怪さんたちの間には、あの峠道付近の所有を主張しないっちゅう暗黙の掟があるそうや。妖狐以外にも魔性の者が訪れてはるんやけど、問題は起こってへん。あそこは非戦闘地域になっててん」
「あたしらはそんなことも分からないほどに衰えていたんだねぇ」
艶女の妖怪の声。KLXのバックシートにひらりと舞い降りたその姿は、みすぼらしかった先ほどまでとは大違いであった。
金銀に始まり、べっこう、珊瑚、琥珀、それから、水牛や犀の角に至るまで、世に存在するすべての種類の装飾品を身に付けているのではないかと思えるほどの煌びやかさである。
葵を通して大地の精を吸収したことで、かつての力を取り戻し、容姿も豪華絢爛となっているのだ。
「勝手に出てきたらアカンて」
「いいじゃないのさ。焼き付けておきたいんだよ、この光景を」
葵は身を捩って振り返る。
若い男の妖怪も、翁の妖怪も、皆で同じ方向を見つめた。
いくつもの赤いテールライトが連なって山間を昇ってゆく様子が見て取れた。
それは、取り分け美しいものではない。だが、無二のものであることは揺るぎない。長い年月をこの地で過ごした者であれば、なおのことだ。
「領有を主張すると、近隣の妖怪たちに袋叩きにされてまう。せやから、人間の退魔師もよう近づかへん」
―― ではなぜ?
誰かが問う。なぜお前はこの地を訪れたのか、と。
三人の妖怪のいずれであったのか、それとも葵自身の内なる声であったのか、或いは誰でもなかったのか。
しかし葵にとって、誰が問い掛けたかなどは実に些細なことである。
「ウチは拝み屋や。依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問する。それが流儀や」
テールライトが峠に消える。
名残は惜しいが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
葵は正面を見据え、ハンドルを握り直した。
― 『峠走』 了 ―
ライムグリーンのボディから溢れ出す、単気筒エンジンの音と振動とに身を任せながら、曲がりくねった山間道をひた走る。
ヘッドライトが照らす夜の峠道には、木枯らしに吹かれた落葉が舞う。
今夜は、峠を攻めるバイク乗りたちが集う土曜の夜。
中継地点となる広場に向かうバイクとすれ違う。荷台にバイクを積んだ軽トラックまでもが広場に向かい、土曜の夜という峠を迎えんとしていた。
葵は、対向車の灯りが見えないことを確認して、僅かに速度を上げた。
山間道の入口には、僻地特有の広い駐車場を持つコンビニエンスストアがある。バイトの店員がジャージ姿であるなど、非常に緩い接客を行う店ではあるが、一帯には競合相手がいないので経営者も特に気にしてはいない。市街に向かって少し進んだ位置にもコンビニエンスストアがあったのだが、今は貸店舗の看板が掲げられている。
コンビニエンスストアの広い駐車場は、いわゆる待ち合わせ場所だ。ここで仲間や知人と合流し、山間の広場へと向かう。
駐車場には照明などないが、店自体が充分な光量を誇っているので、店の裏側にでも回り込まない限りは、暗闇の中に取り残されることはない。
葵は、店正面のスペースにバイクを停止させた。
自ずと周囲の視線が集まる。女性ライダーは決して珍しくはないが、あわよくば、と下心を抱かない男の方が希少価値は遥かに高い。
葵がお茶を買って戻ると、一人の男が葵のバイクの傍に立っていた。
「やぁ。キミ、見ない顔だね」
人当たりの良い笑顔で話し掛けてくる男に、葵は一瞥することすら行わない。
「アンタはん、常連さんなんや?」
葵は小声で呟く。
「うん? まぁそうだね」
「ここを仕切ってはる人に会いたいんやけど」
「悟さん? 今日はまだだよ。もっと遅い時間にならないと」
「せやったら、伝言を頼んでええかいな」
「番号を教えてくれたら、こっちから掛けるよ。直接話したいよね?」
「“峠の幽霊はもう出ない”や。間違いなく伝えてや」
葵は男の問いを無視して、バイクから離れるようにと仕草で告げる。
「なんだいそれ。ま、伝えるけどさ。せめて名前を教えてくれないかい?」
「偽名やったら、いくらでも」
葵がヘルメットを被ると、ふられたな、と周囲から男に対して冷やかしが飛んだ。
葵は構わずバイクを発進させ、市街へと向かう。
貸店舗の看板を掲げたコンビニ跡付近で、数台のバイクとすれ違う。その車種はレーサーレプリカから原付バイクに至るまで多種多様であり、統一も関連もあったものではなかった。
バイクの一団がミラーにも映らなくなったところで、葵はバイクを止めた。
「今の一団、人間じゃなかったみてぇだな」
若い男の妖怪の声。姿はなく、ただ声だけが響く。
「近隣の妖狐さんたちや。峠道の常連さんらしいで」
「言われてみれば、見覚えがあるのぅ。あそこは妖狐の支配地域になっておったのか」
翁の妖怪の声。同じく姿はなく、声だけが聞こえる。
「仕切り屋さんはただの人間やで。ここらの妖怪さんたちの間には、あの峠道付近の所有を主張しないっちゅう暗黙の掟があるそうや。妖狐以外にも魔性の者が訪れてはるんやけど、問題は起こってへん。あそこは非戦闘地域になっててん」
「あたしらはそんなことも分からないほどに衰えていたんだねぇ」
艶女の妖怪の声。KLXのバックシートにひらりと舞い降りたその姿は、みすぼらしかった先ほどまでとは大違いであった。
金銀に始まり、べっこう、珊瑚、琥珀、それから、水牛や犀の角に至るまで、世に存在するすべての種類の装飾品を身に付けているのではないかと思えるほどの煌びやかさである。
葵を通して大地の精を吸収したことで、かつての力を取り戻し、容姿も豪華絢爛となっているのだ。
「勝手に出てきたらアカンて」
「いいじゃないのさ。焼き付けておきたいんだよ、この光景を」
葵は身を捩って振り返る。
若い男の妖怪も、翁の妖怪も、皆で同じ方向を見つめた。
いくつもの赤いテールライトが連なって山間を昇ってゆく様子が見て取れた。
それは、取り分け美しいものではない。だが、無二のものであることは揺るぎない。長い年月をこの地で過ごした者であれば、なおのことだ。
「領有を主張すると、近隣の妖怪たちに袋叩きにされてまう。せやから、人間の退魔師もよう近づかへん」
―― ではなぜ?
誰かが問う。なぜお前はこの地を訪れたのか、と。
三人の妖怪のいずれであったのか、それとも葵自身の内なる声であったのか、或いは誰でもなかったのか。
しかし葵にとって、誰が問い掛けたかなどは実に些細なことである。
「ウチは拝み屋や。依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問する。それが流儀や」
テールライトが峠に消える。
名残は惜しいが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
葵は正面を見据え、ハンドルを握り直した。
― 『峠走』 了 ―
作品名:拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ― 作家名:村崎右近