三剣の邂逅
「はい。少し前に行き先を告げずに出かけたきり、行方がわからないんです」
「行き方知れずか。少し前ってどれくらいだ?」
「えーと、かれこれ一週間くらいでしょうか?」
いなくなって三日、ここへ来るまで三日、と指折り数える少女に、男が首をひねった。
「おい、一応聞くが、お前の兄貴っていうと、歳はいくつだ?」
「私より八つ上だから、二十四ですけど?」
「おいおい」
男は呆れたように少女を見つめた。
「ガキじゃないんだ。何か用事でもあって出かけてるだけなんじゃないのか。それこそ、恋人にでも会いに行ってるのかも。たかが三日帰らないぐらいで、わざわざお前のような娘さんが、一人で探しに来るほどのことじゃないと思うんだが」
「それは……」
少女が俯いたのは、男の言葉が、家を出る前、村の皆にも言われた言葉だったからだ。だが、それで納得ができないからここまで来たのだ。再び、同じ言葉を口にする。
「でも、初めてなんです。兄がなんの連絡もせずに、三日も家を空けるなんて」
確かに、他の家ではそうたいしたことではないのだろう。二十四の兄。本来なら、とうに家庭を持っていてもおかしくはない年齢だ。
だが、兄はいまだかつて朝帰りだってしたことがないのに、何日も泊り込むような間柄の女性がいるとは考えにくい。父の残した畑を、家族三人で細々とやりくりするだけの、穏やかな毎日の繰り返しの中で、無断で遠方に出かけなければならないような理由も思いつかない。そして何より……。
「幼い頃に父が亡くなってから、母と兄と私の三人で、肩を寄せ合って生きてきたんです。貧しいけど、仲はとってもよくて。隠し事なんか、一つもありませんでした」
「一つもか?」
「ええ、一つも。家は農家だし、働いている時もほとんど一緒。隠し事なんてできません」
「ふへぇ〜」
男は、自分なら、そんな息が詰まりそうな家族関係はごめんだと内心で肩をすくめたが、少女はなおも言葉を続ける。
「どこかへ出かける時も、隣村へ買出しに出る時でさえ、必ず私か母に声をかけて行ったし。まして恋人なんて。そんな人がいたら、私たちにも教えてくれるはずです。でも、そんな話、聞いたことないもの……」
男は小さくため息をついた。兄貴は、そんな現状に嫌気を感じて独りになりたくなったんじゃないのか。そう言ってやりたい気持ちにかられたが、その「家族の絆」を信じて兄を追ってきた少女を前にして、言葉を飲み込む。目の前で自分を見つめる、濃い不安の色を湛えた瞳に根負けし、がしがしと頭を掻いた。
「あー、まぁ、そんな家なら、確かにちょっと変かもなぁ」
そんな男の曖昧な肯定に、しかし、少女の瞳は輝いた。
「そうでしょう! 普段は兄の行動にあまり口を挟まない母も、今回はひどく心配して。そもそも、私に兄を探すように言ったのは、母なんです」
「だが、いくら息子が心配だからって、大事な娘を一人旅させるとは少し無茶じゃないか」
「それは……母は、隣村のつもりで私を出したから。兄を隣村で見かけたって人がいて、私の村、モスリーから隣のオリープ村までは半日ぐらいの距離だし、買い物で何度か行ったことがあるから大丈夫って私も言って」
「母親は一緒に来なかったのか?」
「母は、その時ちょうど用事があって、どうしても抜けられないから、仕方なく私に頼んだみたい」
そんな家族主義の家で、家族より大事な用とは一体なんなのか、男は軽い興味を覚えたが、やはり口には出さなかった。
「でも、いざオリープ村に着いたら、その隣のクール村に向かったらしいことがわかって。勢いでクールまで行ったんですけど……」
「クールとレノンの境で襲われてたってことは、兄貴はレノンに行ったって言われたのか」
「はい、おそらく」
「おそらく?」
「村から離れた分、情報が漠然としてくるんです」
「なるほどね」
男は、小さくなってきた焚き火に新たな薪を放り込んだ。
「だがなぁ、隣村に行ったはずの娘がレノンまで行っちゃあ、いくらなんでも母親が心配してるだろう。いったん戻って、相談した方がいいんじゃないか」
男の言葉に、少女は一瞬困った表情を見せた。
「私も、兄がオリープ村にいなかった時、どうしようか迷ったんです。でも、せっかくここまで来たからあと少しだけ行ってみようっていう気になって」
「ついついここまで来たってわけか」
「……はい。でも……次のレノンには、きっと兄はいますよ。あそこは今までの村と違って、町で大きいし……」
「…………」
言葉とは裏腹に、自信なさげに語尾の小さくなる少女を、男は見つめた。
先程の会話内に出てきた兄との年齢比から考えると、十五〜六くらいのはずの少女だが、外見は大人びている。ライトブラウンの髪を後ろで編み上げ、白のブラウスと紺色のスカートとを見事に着こなし、落ち着いた雰囲気をかもしだしている。
背も高く、十七、八と言っても通用するかもしれない。男の目から言わせれば、それなりの「いい女」でもある。
だが、言葉の端々に、どこか危うさのようなものを感じずにはいられない。世間知らずな様子は隠しきれていないし、何より自分の目の前で襲われていたのがいい例だと思った。
「今までの例から考えると、兄貴がレノンの町にいる保証はどこにもないぜ。それでも行くのか?」
「大丈夫、きっといますよ」
「はぁー」
それでいて、この楽観思考はどこから来るのだろうか。
盛大なため息と共に、男は、少女をここから引き返させるという選択肢を諦めた。どの道、現地点からはレノンの方が近いのだ。
「仕方ない、日が昇ったら、俺がレノンまで送ってやるよ」
「えっ、本当ですか」
少女の声が、期待を含んで高くなる。
「ああ。この辺りは物騒だからな。せっかく助けたのにまた襲われちゃあ、俺としても寝覚めが悪い」
「ありがとうございます! あっ、私、ライアっていいます」
「俺はクローブだ。クローブ=リンカル。クローブって呼んでくれ」
「クローブさん」
「さんはいい。あと、敬語もな。堅苦しいのは苦手なんだ」
「え? でも……」
初対面で、明らか年上の男性だ。親しい口をきいていいと言われてもさすがに抵抗があるが、当の本人が、いともあっさり許可をする。
「いい。あんたみたいなお嬢さんにやたらと敬語を使われると、とんでもなく老けたような錯覚におちいる」
真面目に顔をしかめるクローブを見て、ライアは小さく吹き出した。
「わかりました……あっ、いえ、わかったわ。じゃあ、私のこともライアって呼んで。ところで、さっそくだけどクローブ、助けてもらったお礼がしたいんだけど、私、あまり持ち合わせがないの」
「ああ、別にいいぜ。物欲しさに助けたわけじゃないからな」
「でも……」
ライアは明らかに何かしたげで、いろいろ頭をめぐらせている。
「そうだなぁ。だったら、何か食い物を持っていないか。朝食べたっきり何も食べてなくて、腹が空いてるんだ」
「あっ、それなら昼に食事をした店でパンを買ったの。お腹が空いたら食べようと思って」
「おっ、ありがたい」
クローブの隣に腰掛け、ごそごそと鞄を探るライアの手元から、何かが転がり落ちた。