三剣の邂逅
第七章 誘き出された者
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第四の幽霊事件が起こったのは、その数日後のことだった。
狙われたのは、クイン=ベースト。
城の裏手にある、国の財政を大きく左右する鉱山の採掘責任者であり、もちろん、例の十人の一人。ライアとクローブが、その所在を突きとめている、唯一の人物でもある。
敷地の広さを重視するあまり、市街地を避けた彼の屋敷は、ジュスイの家近くの郊外にあった。
その屋敷のすぐ側にある大きな木の下に現れた女の幽霊は、胸にしっかりと赤子を抱き、恨めしそうに佇んでいた。月のない、濃さを一層に増した夜の闇と、幽霊が、頭に布のようなものを被っていたこともあって顔ははっきりしなかったが、驚き恐れ戦く人々の前で、その幽霊は、突如現れた白い霧の中に消えていった。
この噂は、瞬く間に町中に広がった。ここ最近の連続幽霊事件に加え、今回は今までと違い、目撃者が多くいたことが、噂の広がりを急速に早めているようだ。
これまで幽霊は、ほとんどが、犠牲者本人にしか目撃されていなかった。
ところが今回は、親類のパーティーに呼ばれた帰りだったクインが、数人の付き人と共に、幽霊に出くわしている。そして、肝心のクインはというと、夜が明けるのと同時に、早々と、城近郊にある実家へと出かけていった。
要は、逃げたのだ。
これまでの犠牲者たちは、幽霊を見た後、遅かれ早かれ、なんらかの被害にあっている。
しかし幸いなことに、幽霊は見てしまったものの、まだクインの身には何も起こっていない。このまま逃げ切ろうと考えたのだろう。
仕えていた召使たちもまた、幽霊が出た場所の近くにある、主人のいない広々とした屋敷に留まる勇気を持つ者はいないらしい。
皆退散して、その日の夕暮れには、クインの屋敷は不気味なほど静まり返っていた。
そして、夜も更け、町そのものが眠りについた深夜、この屋敷の側でじっと身を潜める二つの影があった。
「寒くないか? 今夜はずいぶん冷えるな」
隣でショールに身を包んでいるライアに、クローブが手をこすり合わせながら尋ねた。
「大丈夫よ」
暗闇の中で軽く微笑みながら、ライアは少し先に見えるクインの屋敷に視線を戻した。
クローブも目を細めて見つめる。屋敷の周りには、人影一つ見あたらない。
「来るだろうか」
クローブの呟きに、ライアは祈るように、胸元の金のペンダントを強く握り締めた。
「来るわよ……きっと」
――そのために、わざわざ第四の幽霊騒動を起こしたのだから。
そう、今回の幽霊騒動は、ライアとクローブが、故意に起こしたものだった。
人々が見た女の幽霊は、実はライアの変装だ。
噂だけでは、その幽霊がどんな格好をしていたかは、皆の知るところではなかった。それはつまり、それらしく見えれば、ごまかしは利くということだ。
胸に抱いた赤ん坊は、小麦粉の入った小さな袋。カナリに用意してもらったそれを、赤子らしいサイズに仕上げ、布で巻いて大事そうに抱えてみせる。それだけで、事前に幽霊は赤子を抱いているという固定観念を持った人々は、それを赤子と見てくれた。
幽霊だと見せつけたところで、クローブが即席の霧を焚く。これは以前、怪しげな黒ずくめの男たちから逃げた際、クローブが使った煙玉を、少しばかり改良したものだ。
そして、その煙に紛れ、ライアが持ち前の技量で、素早く木に登り姿を消す。
後は、人々が完全に去ったのを見届けてから木を降り、夜が明けるまで、ジュスイの屋敷に匿ってもらう、とこういうわけだ。
この作戦のターゲットは、もちろんランディだ。
情報が非常に少ない中で、短時間にすべてのメンバーの所在を突きとめることは、どう考えても難しい。かといって、このままにしておけば、確実に犠牲者が増えてしまう。
ランディが十人のうち、何人まで知っているのかはわからないが、こちらはクインしか知らない。ならば、そのクインのところに、何がなんでもランディに出てきてもらわなければ困るのだ。
そこで考えたのが、この幽霊騒動。
自分が動いていないにも関らずこの騒ぎが起これば、不審に思ったランディが、様子を見に来るのではないかと考えたのだ。
もちろん、必ず来るという確証は何もない。が、クインもまた彼の標的の一人であることに変わりはないはずだから、下手に警戒されては困るわけで、状況ぐらいは見に来るのでは、というわけだ。
今日一日ずっと屋敷を見張っていたが、それらしき人物は現れなかった。しかし、これも予測の内だ。
ランディは国外追放者なのだから、堂々と昼間顔を出すよりは、夜こっそり来るだろう。
そこで二人は夜もとっぷり更けたにも関らず、じっと屋敷を張っているのだ。
兄はきっと来る。ライアが心の中でそう念じていた時、クローブが動いた。
「おい」
緊張した彼の声に急いで視線を向けると、屋敷へと続く一本道を、誰かが足音もなく駆けてくるのが目に入った。
二人は、息を殺してその影を見つめた。ぴたりと、屋敷の前で動きが止まる。
「どうだ、ランディか?」
既に突撃姿勢のクローブが、低く尋ねた。あれがランディなら、クローブが有無を言わせずここまで連れてくる手はずだ。
ライアは全神経を研ぎ澄まして、屋敷の前にいる影を見つめた。暗くて大まかなシルエットしかわからないが、背丈といい推定年齢といい、兄に似ているような気がする。
「よくはわからないけど……たぶんそうだと思うわ」
自分たちの思惑通りに姿を現したことからしても、たぶんランディで間違いないだろう。
「私が行って声をかけてみる?」
「いや、万が一のことを考えたら、お前はここにいろ」
「でも……あっ!」
突然ライアが叫び、クローブがとっさに振り返る。
「何考えてるんだ!」
二人は慌てて駆け出した。
問題のシルエットが、いきなり屋敷の高い塀を登りだしたのだ。あれは明らかに、中に侵入する気配だ。屋内に入られてしまったら、追いかけようがなくなる。
二人は必死になって走った。
しかしその間にも、影は実に鮮やかな身のこなしで、門の内側に降り立つ。
二人が屋敷の前に着いた時には、既に庭にさえ、人の姿はなくなっていた。
「くそ!」
クローブが音を立てて屋敷の門を叩いた。しかし、無人の家には、なんの反応もない。
「どうする?」
ライアに目を向けたクローブは、その場で固まった。
ライアが持っていた鞄から縄を出し、それを大胆に振り回しているのだ。
その先には、金属でできた小さな碇のようなものがついていて、次の瞬間、それはみごとに高々とした門の上方にひっかかった。
「おい、ライア!」
縄を引き、しっかり固定されているかを確認しているライアに駆け寄り、クローブが顔を引きつらせる。
「お前、まさか」
「だってこのまま放っておけないでしょ! 今を逃したら、それこそ兄さんにはもう会えないかも。私、兄さんにはこれ以上罪を重ねて欲しくないの!」
「だが危険だ。危険すぎる!」
「多少の危険はやむを得ないわ!」
その時、空気を揺るがすように、遠くの方で悲鳴が聞こえた。
男の悲鳴、それもどうやら、この屋敷の中からだ。
「兄さん!」
「くそっ!」