三剣の邂逅
クローブは出てきたライアの腕を掴むと、当初の予定通り、男たちに背を向け、さっそく「逃げ」の姿勢に入った。裏通りという場所的条件と、夜更けという時間的条件が見事に重なり、通りには、人っ子一人いない。無人の町を、二人は猛スピードで駆け抜けた。
途中、恐怖に駆られ、クローブに手を引かれながらも後ろを振り返ったライアが叫んだ。
「クローブ!」
ライアの悲鳴が通りに木霊し、クローブも走る速度を弱めることなく振り返る。
先程の男たちが追ってくる。それも物凄いスピードで。おまけに、所々の角を曲がったり、別の道に入ったりする度に、少しずつ人数が増えていく。やはり複数だったらしい。
「くそっ、わらわら出てきやがる」
クローブが毒づいた。ライアの方は、もう生きた心地がしない。
(振り返らなければよかった)
ライアは心から後悔した。
後ろの集団を見てから、ライアの足取りは、明らかに悪くなった。早く走らなければと気ばかりが焦るが、足が全然言うことを聞いてくれない。
膝ががくがくと震え、足を前に出すだけでも、もつれて転びそうだ。現に何度かバランスを崩し、その度にクローブに支えてもらった。
だが立ち止まってなどいられない
後ろでは、全部で十人程に膨れ上がった集団が、一様に追ってくるのだ。
皆真っ黒のローブをマントのようにはためかせて走っているので、実際の人数よりもずっと多く見える。まるで巨大な暗闇が、覆い被さるように迫ってくるようだ。
スピード感溢れる追っ手に比べ、こちらは女のライアの手を引いて走っている分、やはり速度に限界がある。追いつかれるのは時間の問題。だが、助けを呼ぶわけにもいかない。
窮地に追い込まれた二人は、裏通りのほぼ中心部にある、浴場建設予定の空き地に入り込んだ。
クローブは、息が切れてふらふらしているライアを自分の背後に押し込めると、追って来た男たちに向けて剣を構えた。
「クローブ……」
「離れるなよ」
あっという間に追いついた男たちは、ライアとクローブの数メートル先で、足音もなく止まった。
「お前たちは何者だ? どうして俺たちを狙う」
目の前の黒集団を前に、クローブが低く凄みのある口調で問いかける。
一瞬の間があって、先頭にいるリーダー格らしい男が口を開いた。
「大人しく我らと一緒に来てもらおうか」
それを合図にしたように、男たちが一斉にローブを脱ぎ捨てた。
顔の覆面こそ残っているが、下は完全な戦闘服が露になった。黒という色に変わりはないが、肌にぴったりと密着した、実に動きやすそうな服装だ。体格の方も、肩幅どころか、明らかに訓練された肉体である。
腰には、剣士が持つような普通の剣よりも少し短めで、細めの剣が下がっている。
それを引き抜き、こちらを見つめている鋭い目だけが、月明かりで煌々と輝き、不気味な暗殺集団的イメージを醸し出していた。
口では一緒に来いと言っているが、初めから殺す気なのではと疑いたくなる迫力だ。
「嫌だ、と言ったら?」
クローブがお決まりの台詞を口にする。
なんの感情も見られなかった男の目が、かすかに微笑んだのがわかった。
「本意ではないが、始末させてもらおう」
(ああ、やっぱり)
ライアがそう思った次の瞬間、文字通り激しい戦闘が始まった。
十人の男たちが次々に襲いかかり、クローブがそれに、たった一人で応戦する。
ライアは、震える体を押さえ込むようにして、動き回るクローブの後ろに必死にくっついて剣戟を見守っていたが、次第に戦いに釘付けになった。
すごい――。
クローブの活躍は、まさに目を見張るものだった。
たった一人で、凄腕の男十人ほどを相手にし、しかも全く引けをとっていない。
相手はどんな訓練を受けているのか、非常に身軽で、スピードに物言わせる戦い方をする。だが、下手な芸を持ち合わせていないクローブの方が、圧倒的に勝っているのだ。
間髪を空けず飛び掛ってくる男たちを正確に払いのけ、次々となぎ倒していく。
だが、よく見ると血は出ていない。峰打ちだ。
後に騒ぎが大きくなることを避けているのだろうが、大した余裕である。
倒された男たちは皆、命こそ取られていないものの、うずくまり、微動だに動かない。
十人程いた男たちは、あっという間にその数を半分に減らし、戦況はこちらに有利になりつつあるかのように見えた。
だが、クローブの勇姿に見入ってしまっていたライアは、気付かなかったのだ。
自分が、クローブの側を離れてしまっていることに。そして、背後に男が回りこんでいたことに。
「きゃっ!」
異変を感じた瞬間、ライアの細い首は、男の太い腕で締めつけられていた。
逃れようと身をよじればよじるほど、男の腕は、いよいよきつく首に食い込んでくる。
視界の先に、こちらに背を向けて戦っているクローブの姿が見えたが、助けを呼ぼうにも声が出ない。息が詰まりそうになったライアは、渾身の力を込めて男の腕をわずかに引き離すと、勢いに任せて噛みついた。
「くっ!」
男が呻き声を上げ、手を一瞬緩めた。
(今だわ!)
ライアは男の腕をすり抜けるようにして、前へ走り出た。
「このっ!」
「ライア!」
クローブの叫び声にとっさに振り返ると、怒りに燃えた男の剣が、逃げようとしていたライアの背に、まさに振り下ろされるところだった。
「きゃあ!」
「ぐわっ」
ライアの悲鳴と、男の苦痛に満ちた声が重なった。
次の瞬間、どうっという鈍い音と共に、どさりと何かが倒れ落ちた。
しゃがみ込んでいたライアが、恐る恐る顔を上げると、先程まで自分に刃を向けていた男が、目の前に倒れ込んで呻いている。見ると、その男の右肩には、深々と剣が刺さっていた。その少し先では、クローブがまだ剣を投げたままの体制で静止している。
「大丈夫か!」
ライアの安否を気遣って叫ぶクローブの背後で、今だとばかりに男が剣をかざしたのが見えた。
「クローブ! 後ろ!」
ライアの声に、すんでで攻撃をかわしたクローブの頬に、相手の剣がかすった。
パッと血が散って、一筋の赤線から、鮮血が滴り落ちる。
「クローブ!」
ライアが悲鳴を上げてクローブに駆け寄った。
「大丈夫?」
血を拭おうとするライアの手を、クローブが掴んだ。そのまま、ぐいと自分の方に引き寄せる。驚くライアの耳元で、低く囁いた。
「俺は大丈夫だ。だが、やはりこのままでは不利だ。逃げるぞ!」
言うなり、クローブは懐から何かを取り出し、男たちに向かって投げつけた。
途端に、火花が散り、真っ白な煙が辺り一面に広がる。
「なんだ! どうした?」
「ひるむな! ただの目くらましだ」
口々に叫ぶ男たちの声を背にしながら、クローブはライアの手を引き空き地を抜け出す。
「レトロな手だが、多少時間稼ぎぐらいはできてくれよ」
一歩遅れて追いかけてくる残りの男たちを気にしながら、ライアとクローブは、再び、静まり返った夜の町を逃げに逃げた。