三剣の邂逅
2
クローブとの待ち合わせ場所になっている食事処は、大通りから少し入り込んだ路地の突き当たりに、ひっそりと構えている。
その割に店内は広々としていて、中央には十数人が座れる大きなテーブル、右奥にはカウンター、そして四方を取り囲むように個席が連なっている。
クローブは先に来ていて、店員が集まっているカウンターから最も離れた左脇に席をとっていた。話を聞かれないようにとの配慮だ。
食事時間にはまだ少し早く、店内の人のいりも疎らだ。店員は注文通りクローブには酒、ライアにはレモン水を持ってくると、カウンターに戻って中断した雑談の続きを始めた。
「で、どうだった? 何か新しい情報は手に入ったか?」
周りに人がいないのを横目で確認しながら、クローブが目の前に置かれたグラスに口をつける間もなく尋ねた。
「あったわ」
ライアは努めて冷静に答えた。
「俺もだ」
クローブも口元を引き締めたまま頷いた。
短い時間だったが、どうやらどちらにも収穫があったらしい。
「さて、どちらの情報を先に聞くかだが、俺としては、自分の方を先にしたい。……悪い情報なんだ」
クローブの憂鬱そうな表情は、ライアの瞳を曇らせた。黙って続きを待つ姿勢のライアに、クローブは言い難そうに口を開いた。
「早くも次の犠牲者がでちまった。昨夜、第三の幽霊騒動が起こったそうだ」
「えっ」
ライアの瞳が凍りついた。
「今度のターゲットは、町中心部をちょっと離れた所に住んでる大地主。調べたところ、こいつは例の十人の中の一人、ホーリー=ワッカーサーだった」
「その人も、やっぱり女の人の幽霊を?」
「ああ。しかも、こいつの被害状況はかなり深刻だ。なんでも、車道に飛び出して馬車にはねられて、今は重症だそうだ」
「そんな……」
ライアは完全に青ざめてしまった。
「あまり思いつめるなよ。まだ、ランディが犯人だと完全に決まったわけじゃない。俺たちが立ててるのは、あくまでも仮説なんだからな」
励ましてくれるクローブには悪いが、ライアは力なく首を振った。
「いいえ。おそらく今度の犯人は兄さんよ。私、思い出したの。兄さんが突然十年前の事件に目覚めたわけ」
「なんだって?」
クローブは思わず叫びそうになり、慌てて口を押さえた。
ライアも辺りを気にしながら声を抑える。
「私、ついさっき、幽霊事件一件目の武器商人の家に行ってきたの」
「サム=オズレイのか?」
「ええ」
ライアは、簡単にその経緯を話した。
大使がこの近くの家に病気見舞いで来ていると聞き、カーターに会えるかもしれないと思って出かけたこと。しかし行ってみたら、来ていたのは、大使の使いだけだったこと。大使の護衛だという兵士と、話をしたこと。
「なるほど。カーターはサムと付き合いがあったってことか」
「そうなの。大使の護衛兵の話では、昔の知人という名目で付き合っているらしいわ。それっておそらく、あの十年前の知り合いってことよね」
「たぶんな」
クローブは即座に同意すると、先を促した。
「それで? そのこととランディと、どういう関係があるんだ?」
「きっかけは馬車だったの」
「馬車?」
「そう、馬車。その大使の使いが乗ってきた馬車が屋敷の前に止まっていたんだけど、それを見て、ある日のことを思い出したの」
ライアは、遠くを見つめるように語り出した。
「今思えば、本当に今思えばなんだけど、兄さんの様子が少しおかしかった日があったの。何かがいつもと違ってた。そしてその日、私たちの村もいつもと違った。村中が、あることで盛り上がっていたの」
「あること?」
「ええ。近隣の村としかほとんど交流のないモスリーに、珍しい人が見えていて。来ていたのは……隣国の大使」
クローブの表情が変わった。
「おい、隣国って、まさか」
「そう。カルーチアよ。カルーチアの大使。サルストンに外交使節として来ていた彼が、帰途に珍しく、私たちの村を通ったの。私はその日、村はずれにある知り合いの家に行っていて、見には行けなかったんだけど、今考えると、あれはカーターだったんだわ」
「間違いないのか?」
「ええ、たぶん。その時、彼が乗ってきていた馬車が珍しくて話題になったから、それで、馬車を見て、急に思い出したの」
身を乗り出して聞いていたクローブが、ふと首をかしげる。
「だが、この町で馬車を見かけたのは、今日が初めてじゃないだろう?」
「そうなんだけど、この国の大使であるカーターが怪しいってことになってからは初めてなのよ。ついでに言えば、あそこまで近くで馬車をじっくり見たのも」
「そうか」
クローブが腕を組んだ。
「で、その日ランディは、どんな風におかしかったんだ?」
「どうと言われると困るんだけど……元気がなかったというか、ぼーっとしてたというか。その日は野菜も売れてなかったみたいだし。そういえば、食卓の上にあった、来客用の湯飲みにも、反応しなかったのよね」
家族にしかわからないようなかなり細かい「異変」について口にするうち、ライアは悲しくなってきた。あの時、もっと兄の変化に注意を払っていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。
「でも、その日はやっぱり口数が少なかったけど、翌日からは別にいつもと変わらなかったから、すっかり忘れていたわ」
しかしその後、ランディは失踪した。
ライアが悲しげに目を伏せ、クローブが考えるように顎に手をあてた。
「たぶんそれだな。おそらくランディは、村でカーターを見かけたんだろう。それで、心の奥底にしまっていたなんらかの感情が、息を吹き返した。ランディが事件の真相を知っているかどうかで、その時芽生えたのが、疑惑なのか復讐心なのかはわからないが、おおもとはそんなとこだろう」
二人は黙り込んだ。
新たな情報は増えたが、事態は依然八方塞がりだった。
なんだかんだといっても、今後犠牲者になりうる人物の情報にはかすっていない。
その一方で、ここ一連の事件がランディによるものだという喜ばしくない可能性の方だけは、着々と肯定されつつある。怪しいのは当時の王弟、あるいはカーターだというのもわかっているが、確証に繋がる証拠はまだない。
「現王とカーターの噂の方はどうだった?」
こっちはさっぱりだというクローブに、ライアも心沈む報告しかできなかった。
二人の報告は、どちらも共通したものだった。
結論から言えば、当初二人が期待していたような、露骨に怪しい面や悪評が、まるで出なかったのだ。それどころか、よい評判ばかりが出てきたのだから困ってしまう。
かつての王弟であり、現国王であるアーロン=ウォーロフ。
彼は前王亡き後しっかりと国政を引き継ぎ、兄の良政を活かしつつ、自身の政策も取り入れるなど、積極的な統治姿勢を見せていて、城関係者から民まで幅広い支持を得ている。
もともと、前王在命時から、アーロンはまじめで優秀な王弟として一目置かれ、兄を支えて国を導いてくれることを、誰もが期待していたらしい。肝心の兄に対する態度も、常に尊敬の対象として慕い、不満を持つようなことはなかったという。
クローブとの待ち合わせ場所になっている食事処は、大通りから少し入り込んだ路地の突き当たりに、ひっそりと構えている。
その割に店内は広々としていて、中央には十数人が座れる大きなテーブル、右奥にはカウンター、そして四方を取り囲むように個席が連なっている。
クローブは先に来ていて、店員が集まっているカウンターから最も離れた左脇に席をとっていた。話を聞かれないようにとの配慮だ。
食事時間にはまだ少し早く、店内の人のいりも疎らだ。店員は注文通りクローブには酒、ライアにはレモン水を持ってくると、カウンターに戻って中断した雑談の続きを始めた。
「で、どうだった? 何か新しい情報は手に入ったか?」
周りに人がいないのを横目で確認しながら、クローブが目の前に置かれたグラスに口をつける間もなく尋ねた。
「あったわ」
ライアは努めて冷静に答えた。
「俺もだ」
クローブも口元を引き締めたまま頷いた。
短い時間だったが、どうやらどちらにも収穫があったらしい。
「さて、どちらの情報を先に聞くかだが、俺としては、自分の方を先にしたい。……悪い情報なんだ」
クローブの憂鬱そうな表情は、ライアの瞳を曇らせた。黙って続きを待つ姿勢のライアに、クローブは言い難そうに口を開いた。
「早くも次の犠牲者がでちまった。昨夜、第三の幽霊騒動が起こったそうだ」
「えっ」
ライアの瞳が凍りついた。
「今度のターゲットは、町中心部をちょっと離れた所に住んでる大地主。調べたところ、こいつは例の十人の中の一人、ホーリー=ワッカーサーだった」
「その人も、やっぱり女の人の幽霊を?」
「ああ。しかも、こいつの被害状況はかなり深刻だ。なんでも、車道に飛び出して馬車にはねられて、今は重症だそうだ」
「そんな……」
ライアは完全に青ざめてしまった。
「あまり思いつめるなよ。まだ、ランディが犯人だと完全に決まったわけじゃない。俺たちが立ててるのは、あくまでも仮説なんだからな」
励ましてくれるクローブには悪いが、ライアは力なく首を振った。
「いいえ。おそらく今度の犯人は兄さんよ。私、思い出したの。兄さんが突然十年前の事件に目覚めたわけ」
「なんだって?」
クローブは思わず叫びそうになり、慌てて口を押さえた。
ライアも辺りを気にしながら声を抑える。
「私、ついさっき、幽霊事件一件目の武器商人の家に行ってきたの」
「サム=オズレイのか?」
「ええ」
ライアは、簡単にその経緯を話した。
大使がこの近くの家に病気見舞いで来ていると聞き、カーターに会えるかもしれないと思って出かけたこと。しかし行ってみたら、来ていたのは、大使の使いだけだったこと。大使の護衛だという兵士と、話をしたこと。
「なるほど。カーターはサムと付き合いがあったってことか」
「そうなの。大使の護衛兵の話では、昔の知人という名目で付き合っているらしいわ。それっておそらく、あの十年前の知り合いってことよね」
「たぶんな」
クローブは即座に同意すると、先を促した。
「それで? そのこととランディと、どういう関係があるんだ?」
「きっかけは馬車だったの」
「馬車?」
「そう、馬車。その大使の使いが乗ってきた馬車が屋敷の前に止まっていたんだけど、それを見て、ある日のことを思い出したの」
ライアは、遠くを見つめるように語り出した。
「今思えば、本当に今思えばなんだけど、兄さんの様子が少しおかしかった日があったの。何かがいつもと違ってた。そしてその日、私たちの村もいつもと違った。村中が、あることで盛り上がっていたの」
「あること?」
「ええ。近隣の村としかほとんど交流のないモスリーに、珍しい人が見えていて。来ていたのは……隣国の大使」
クローブの表情が変わった。
「おい、隣国って、まさか」
「そう。カルーチアよ。カルーチアの大使。サルストンに外交使節として来ていた彼が、帰途に珍しく、私たちの村を通ったの。私はその日、村はずれにある知り合いの家に行っていて、見には行けなかったんだけど、今考えると、あれはカーターだったんだわ」
「間違いないのか?」
「ええ、たぶん。その時、彼が乗ってきていた馬車が珍しくて話題になったから、それで、馬車を見て、急に思い出したの」
身を乗り出して聞いていたクローブが、ふと首をかしげる。
「だが、この町で馬車を見かけたのは、今日が初めてじゃないだろう?」
「そうなんだけど、この国の大使であるカーターが怪しいってことになってからは初めてなのよ。ついでに言えば、あそこまで近くで馬車をじっくり見たのも」
「そうか」
クローブが腕を組んだ。
「で、その日ランディは、どんな風におかしかったんだ?」
「どうと言われると困るんだけど……元気がなかったというか、ぼーっとしてたというか。その日は野菜も売れてなかったみたいだし。そういえば、食卓の上にあった、来客用の湯飲みにも、反応しなかったのよね」
家族にしかわからないようなかなり細かい「異変」について口にするうち、ライアは悲しくなってきた。あの時、もっと兄の変化に注意を払っていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。
「でも、その日はやっぱり口数が少なかったけど、翌日からは別にいつもと変わらなかったから、すっかり忘れていたわ」
しかしその後、ランディは失踪した。
ライアが悲しげに目を伏せ、クローブが考えるように顎に手をあてた。
「たぶんそれだな。おそらくランディは、村でカーターを見かけたんだろう。それで、心の奥底にしまっていたなんらかの感情が、息を吹き返した。ランディが事件の真相を知っているかどうかで、その時芽生えたのが、疑惑なのか復讐心なのかはわからないが、おおもとはそんなとこだろう」
二人は黙り込んだ。
新たな情報は増えたが、事態は依然八方塞がりだった。
なんだかんだといっても、今後犠牲者になりうる人物の情報にはかすっていない。
その一方で、ここ一連の事件がランディによるものだという喜ばしくない可能性の方だけは、着々と肯定されつつある。怪しいのは当時の王弟、あるいはカーターだというのもわかっているが、確証に繋がる証拠はまだない。
「現王とカーターの噂の方はどうだった?」
こっちはさっぱりだというクローブに、ライアも心沈む報告しかできなかった。
二人の報告は、どちらも共通したものだった。
結論から言えば、当初二人が期待していたような、露骨に怪しい面や悪評が、まるで出なかったのだ。それどころか、よい評判ばかりが出てきたのだから困ってしまう。
かつての王弟であり、現国王であるアーロン=ウォーロフ。
彼は前王亡き後しっかりと国政を引き継ぎ、兄の良政を活かしつつ、自身の政策も取り入れるなど、積極的な統治姿勢を見せていて、城関係者から民まで幅広い支持を得ている。
もともと、前王在命時から、アーロンはまじめで優秀な王弟として一目置かれ、兄を支えて国を導いてくれることを、誰もが期待していたらしい。肝心の兄に対する態度も、常に尊敬の対象として慕い、不満を持つようなことはなかったという。