狂言誘拐
今朝の初めての脅迫電話で、中野は亜矢子の夫に対し、ヘリコプターからの現金の投下指示をほのめかした。場所と時刻の指定は、準備ができ次第報告すると伝えた。道路の渋滞がなかったなら、予定通り午後十四時にボートを借り、中野たちは沖へ向かったことだろう。
十四時四十六分の地震発生時、海上ではどのような事態となったのだろうか。陸上のような揺れは、海上では恐らく起こらなかっただろう。それでは、どのようなことになったのだろうか。
津波が来る前、大山の妻が云っていたように、地震のあとは急激に潮が引いたらしい。その際に海上のボートの上にいれば、激しい潮流の異常に翻弄されたに違いない。そのあとで、巨大津波が襲来したのだ。十メートル、十五メートルというような大波をかぶれば、手漕ぎボートが転覆しない筈はなかった。やはり、道路渋滞とぎっくり腰に命を助けられたのだった。
自然災害は人間の想像を絶する。「想定外」の事態を予想した安全対策が必要不可欠であることを、強烈に印象付けた。未来永劫、日本人の心から忘れ去られることのない大災害となりつつあった。
この強烈な教訓を生かさなければ、人間は地球と巧く付き合って行くことはできない。だが、日本という国家は、国民の命を守る災害対策よりも、産業振興を優先し、企業の利益を優先する国であることは明らかである。
そこまで中野が考えたとき、亜矢子が何か云ったような気がした。
「何か云いました?」