狂言誘拐
だが、被害や影響の情報は少ない。見て取れる被害の激甚さに比べて、桁違いに小さな犠牲者の数がこまめに伝えられているものの、情報の一部分さえが満足に伝えられていない。情報を伝えるべき人間の大半が、津波にさらわれてしまったのかも知れない。
「おどげでねえ!おらいがぼっこれで、ああぁ」
真近に新たな悲鳴が上がった。隣の島野家の建物が破壊され、流されて行ったのだった。
屋上からは信じられない光景が展開していた。見渡す限り、無限の幅をもつ濁流が渦巻いている。車や漁船、建物、そして瓦礫がどんどん流されて行く。遠くには紅い炎や立ち上る黒煙が見えた。
多くの余震に怯えていると、テレビから原発の被害情報が流れた。東京電力福島第一原発の非常用ディーゼル発電機が故障し、緊急事態となっているという情報だった。
「こうぇ。テレビ見てるとあんべ悪くなる」と、布団の上で横になっている大山が云う。
島野に聞くと、疲れたと云っているようだった。
「がせぇこねぇ。無理もないな」
元気がないということらしい。
中野は大山老人に、毛布を多めにかけてやった。ほかの人たちもそれぞれ毛布を身体に巻いて寒さに耐えている。
「あんつことごしゃげるなや」(心配でいらいらする)
中野と亜矢子も無言のまま、余震に怯えながら夕暮れの中で俯いていた。