狂言誘拐
気のせいだったのだろうか。怒号のような津波の音が響き渡る室内に、時折遠くからの被災者のものと思われる悲鳴や怒鳴っているような声が、微かに聞こえた。間もなく生涯を閉じようとする人々の声は、この世のものとは思えない、不気味な響きに包まれていた。何という重い衝撃だろう。もう、誰をも助けることのできない自からの無力さが忌まわしい。もはや、なすすべもない。中野は神のような、悪魔のような、得体のわからない存在に組み敷かれているような想いだった。彼のまぶたからも涙が溢れ出た。
「おっかね。水にかっつがれるかも知れない。申し訳ないけんど、屋上まで運んで頂けませんか」
大山のそのことばに、誰もが我に返ったのではないだろうか。
「屋上があるんですね。じゃあ、またお願いします」
中野がそう云うと、老人の布団の周囲に人が集まった。
みんなで大分頑張って、こたえる最後の力仕事が漸く済んだとき、老人は貴重な情報を追加した。三階にはたくさん毛布があるし、車用のテレビとバッテリーがあると云う。みんなで三階からそれらのものを運び上げた。それが済むころには水が三階に迫っていた。
薄日が差す中を、小雪が舞っている。中野が小型のテレビとバッテリーを繋いだ。間もなくテレビ画面に映し出されたもの。それはCGを駆使したパニック映画をも超える迫力と悲惨さであり、とても信じられないものだった。
炎上するガスタンクやあちらこちらで上がる火の手。大津波が轟音とともに埃を立てながら家屋を押しつぶし、押し流す。黒い水が田畑一面に広がり、漁船や車、空港の飛行機までも押し流していた。それらが、繰り返し、映し出された。?