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狂言誘拐

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 亜矢子が泣きだした。今度は中野が、亜矢子の小さな柔らかい手を握った。
 ラジオは大津波警報が出されたことを報じている。最大六メートルというのは大きい。入り江などではその三倍にもなると、聞いたことがある。
 窓を開けると初老の男の通行人が、会社に戻ろうか、などと云っている。小柄なその男は、母さんが気になるから自宅の方に行ってみようか、などとも云う。云った相手は息子らしい。若い男は手足が長く、かなりの長身だ。その若者が泣きながら、お母さんを助けたいと云った。
「乗りますか?」と、中野が声をかけたのは、一種の職業病かも知れない。蒼ざめた亜矢子はひどく震えていて、声も出ないらしい。
 
「まだ激しく揺れてますね。すみません。近くなんですが、お願いします」
 営業中に何度も耳にすることばだった。亜矢子は相変わらず、うずくまって震えている。男たちは自動ドアに驚いた。中野は車の外に出て緩衝材の袋をおろし、男ふたりを後部座席に乗せた。ビニール袋入りのものは路肩に放置した。一応あとで取りに戻るつもりだった。
揺れ始めから既に三分は経っただろう。それでも地震は続いていた。中野はその長さに驚きながら車を発進させた。
 
作品名:狂言誘拐 作家名:マナーモード