狂言誘拐
「良かったわね。二時間くらい横になっていればいいそうよ」
亜矢子は中野のベッドの横に椅子を持ってきて座り、手を握りながら云った。亜矢子の小さな温かい手は、マシュマロのように柔らかいと、中野は思った。
「やっぱりセレブの手は違いますね」
「何よそれ。わたしだってお部屋の掃除くらいはするわ」
「私の汚い部屋を、こんな手で掃除させてしまって恐縮です」
「そんなこと云ってないで、少し眠ったほうが早く治るわ」
「よかったら一緒にどうですか?あっ。これは完璧に一人用ですね」
ベッドの男は顔を紅く染めた。
「わかったら眠りなさい」
それは、極めて優しい表情と声で云われた。中野はそのことばを聞くと同時に、抗い難い眠気を憶え、瞬く間に重い眠りに引き込まれていった。
中野は夢を見ていた。女子ワールドカップ・サッカー。なでしこジャパンの、蒼いユニホームの選手たちが、鼓膜を破られそうな大歓声の中で、抱き合い、歓喜し、涙していた。
それは決勝戦で強豪に勝利し、世界一になった瞬間だった。中野は激しく感動し、泣きながら叫んだ。やったー!なでしこジャパン。悲願の世界一おめでとう!
「清さん。起きて。ここは病院よ。そんな大声で寝言を云うから、看護師さんや先生たちや患者さんたちから、叱られちゃったわ。もう、恥ずかしくて逃げ出したいわ」
目が覚めた中野の眼の前に、余りにも美しい亜矢子の顔があった。彼女は両手で中野の肩の辺りを掴んでいた。
「……ここはどこ?私は誰?」