狂言誘拐
ふたりは声をひそめ、顔を寄せ合っていた。中野は胸に疼くものを感じていた。
不意の電話の呼び出し音に驚愕した。亜矢子が部屋の電話を取った。
「……はい。わかりました。食事などの精算とチェックアウトは?……明朝十一時までですね。お世話さまです」
「出前、きましたか?」
「ええ。玄関に置いたそうよ」
「取ってきます」
「すみません。お願いします」
中野が玄関に行き、出前の盆を運んできた。ドラマで犯人が逮捕されると、警察署ではかつ丼が出されるのを、何度も見たような気がする。
「かつ丼とタンメンです。私がかつ丼ですね?」
食事を始めたとき、三十年も昔のことが、中野の頭をかすめ過ぎた。
その日、中野は釣り船の上で友人より先に弁当を開いた。釣り宿に着く前に、それぞれが買った弁当だった。間違えて友人のものを、彼は食べてしまった。その後「食い物の恨み」ということばを耳にする度に、それを思い出した。その後、あのときは同じものを買えば良かったのだと、何度も思ったものだ。その日を最後に、その友人とは顔を合わせていない。
「外れ?美味しくないのね?」
「そうでもありません。なかなかの味です」
「何だか、辛そうな表情だったわ」