狂言誘拐
「ありがとうございます。ところで、お客様のご趣味は?」
「そうねえ、仕事かな?」
中野はそのことばがきらいだった。
「そういう女性が増えていますね」
「でも、何か趣味を持ちたいわね。最近になってそんなことを思うの」
そのとき乗客の携帯電話が着信した。聞き覚えのある着信音にはっとしたと同時に、話を中断させられた中野は落胆した。
「はい。どうも、ありがとうございました。もうお帰りになったの?」
レストランの前に居た男からだろうと、中野は想像した。
「……大丈夫。ちゃんとやるわ……そんなに心配しないで……あんなに待ったんだもの、失敗しないわよ……ええ。任せてちょうだい……そうね。その通り、本当に奇跡だわ……
はいはい。じゃあ、おやすみなさい」
中野は仕事の話だろうと思った。そのあとは暫くふたりとも黙っていた。
「運転手さんは何時までお仕事ですか?」
乗務員はいつものように応える。
「洗車するのが朝の五時頃ですが、明けに眠ることも仕事のようなものですね」