狂言誘拐
その相手は美里の母である。亜矢子のような美人ではなかったが、独特の魅力が、彼女にはあった。そして、ピザが大好物だった。
「そうかぁ……キャサリン・ロス。わたし、似てないかしら」
「うーん。じゃあ、私はロバート・レッドフォード?ポール・ニューマン?」
「残念でした。はっきり云って売れないお笑い芸人という雰囲気」
「ガーン。まあ、それが現実ですねぇ……でも、黒木瞳さん。先週、乗って頂きました」
「あなたのタクシーに?」
暗い和風建築の中に入った。壁のスイッチを探り当てて照明をつけると、そこは広い玄関だった。黒を基調としている。床のタイルに照明がきれいに映っていた。
「落ち付いた雰囲気ですね」
「ええ……女優の黒木瞳さん?」
「そうです。似てます。でも、亜矢子さんのほうがきれいです」
「またぁ。お世辞がきついわよ」
障子を開けると新しい畳の香りが鼻を刺激した。
「ほんとうですよ。で?映画はどうでしたか?」
十二畳ほどの和室の壁には、東山魁夷を想わせる日本画が飾られていた。あとは座卓と大きな薄型テレビが目立っている。
「よかった。クライマックス以外はもう一度観たいくらい」
中野は床の間の近くに荷物を置いた。心臓がつよく脈打っている。
「どこかで借りてきますか?私も観たくなりました」