狂言誘拐
テーブルに麦茶のグラスが乱暴に置かれた。ベレー帽をかぶったアルバイト店員は六十歳に近い小柄な女性だった。全てが似合っていないと、中野は思った。最近はファミリー・レストランでも若い女性のウエイトレスは少ない。やはり、高齢化が急速に進んでいるということだろうか。
「牛丼並のサラダセットで片方はつゆダクにしてください」
「はいかしこまりました。牛丼並のサラダセットで片方はつゆダクですね」
「ごはんの代わりに豆腐のもあるんですよ」
「太りたくないひとのためね?」
「そのとおりです。しかし、亜矢子さんはスタイルがいいですね」
「エステでがっぽり取られてるからね。中野さんも行けばいいわ」
「どこにそんなお金があるんですか」
亜矢子はウィンクをし、右の掌をぱっと広げて見せた。そうだった。もう、間もなく
五千万円が転がり込んでくるのだ。しかし、まだそれは絵空事としか感じられない。
中野は首を振りながらテーブルに届けられた牛丼を食べ始めた。
「意外にいけるわね。今度からおひるは牛丼にしようかな。ひと皿がこれの十倍以上もするお料理ばかり食べてると、却ってこういうのが新鮮でいいような気もするわね。そうか、これが庶民の味なんだね」
「週に三回も食べると飽きて来て、食欲がなくなりますよ」