狂言誘拐
中野は流しのタクシーを待っている女性の前で思わず減速し、亜矢子にたしなめられた。
「今日はお休みでしょ。仕事は忘れなさい。あっ、セルフのスタンドよ」
「その隣がLPGスタンドです。じゃあ、入れましょう」
中野はそこに車を入れることにして減速した。
「コンビニもあるわ」
「監視カメラがあるから入るのはやめましょう。何か買いたいときは個人商店にした方が無難です」
「そうよ。そういうことよ。誘拐されると疲れるわね」
中野は自分が誘拐されたような気がしていた。少なくとも不本意な行動をしている。帰宅して新しい小説を書きたいと思い始めていた。
「完全犯罪に挑戦してみたいなあって、思ったことがありますよ。勿論、小説の中でね」
「今回はどうかしら。わたしが警察でばらしたら超不完全犯罪になっちゃう」
「それ、本気で云ってますか?」
ちょうど定位置に車を止めたときだった。
「勿論、本気なわけないじゃない。でも、時間が経って、あなたとの縁も切れて、周りでいろいろ云われたら喋りまくるかも」
中野は不安な気持ちになった。
「まあ、その話はあとでじっくり続けるとして、トイレは販売機の向こうです。事務所で一万円札を手数料なしで両替することもできます」
「無料で?いいこと聞いちゃった。じゃあ、これ、お願いね」