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狂言誘拐

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「わたしの車が修理中だから貸してって、そう云って先払いでお金を渡したの」
「借りたのはどんな車ですか?」
「タクシー。ガソリンを入れるなって云われた」
「タクシーを借りた?亜矢子さん!熱はありませんか?」
「タクシーだった車を会社から払い下げてもらった車なの。屋根には何もついてないわ」
「そういうことですか。安心しました……燃料はLPGですね。液化石油ガスです。カウンタックのようには速くないけど、燃料代はガソリン車より全然安く済みます」
 小野寺という男の車は、恐らく走行距離が四十万キロ以上の、いつ故障するかわからないような老朽車両だろう。亜矢子が心配しないように、中野はその推測を口にしなかった。
「……小説の続きを読みたかったけど、おあずけね」
「そんなことはありません。携帯で読めますから」
「そうなの!?じゃあ、あとで教えてください」
「亜矢子さんは余裕ですね。いよいよ、決戦のときが近づいたというのに」
 コーヒーカップの底が見えたところでふたりは歯を磨き、それから着替えた。やや緊張した面持ちの中野と亜矢子は、ジーンズで出かけた。ふたりともまたマスクとサングラスで、顔を隠している。そうすると却って目立ちそうだが、午前六時前のまだ薄暗い住宅街に、歩行者の姿はなかった。
 亜矢子はキャスターと取手付きの大きなバッグを、ガラガラいわせながら歩いた。中野はバックパッカーといった姿だ。荷物の中には洗面道具、下着、昨夜スーパーで買った食料などが入っていた。
 
作品名:狂言誘拐 作家名:マナーモード