狂言誘拐
「ほんとうに初めて作ったんですか?」
「家では交代で来てくれているシェフたちに任せてるの。旦那がね、愛妻に怪我や、やけどをさせたくないんですって」
「へえ、じゃあ、正真正銘の、本物のセレブなんですね。ガレージには外車だらけとか?」
「イタ車、ドイツ車、いろいろあるし、自家用ヘリだってあるの」
中野はあまりの驚きのために返すことばを失った。昨夜見た亜矢子の家の、脇に守衛所のある巨大な門を思い出していた。それは、中世ヨーロッパの貴族の館のものを連想させた。重厚な装飾を施された金属製の門扉の幅が尋常ではなく、車二台がそこですれ違うことも容易なほどの規模だった。
昨夜、中野のタクシーが到着した際に、鎌倉の大邸宅の観音開きの豪華な門は全開になっていた。また、灯りのついている守衛所から人が出てくることはなかった。そこを通過すると、電動式らしい門は車のミラーの中で閉じられた。中野は閉じ込められたようで不安だった。非常に平坦に仕上げられた広い舗装道路が、森の中に続いていた。そこを進んで行くと、まるで宮殿といった印象の豪奢な家が現れ、その前はロータリーになっていた。噴水のある円形の池の周囲を旋回し、大理石の階段の前に到着した。
「ねえ、なにか飲み物があるといいわね」
そのことばに促されて我に返った中野は、慌てて立ち上がると台所へ行き、大きなグラスにふたり分のウィスキーの水割りをつくってきた。
「ありがとう……うっ。これ、スコッチでもバーボンでもないわね。何?」
「下級労働者向けの超格安なウィスキーです。飲み過ぎると二日酔いと下痢は確実です」
「わたしお水でいいわ。でも、ミネラルウォーターはなかったわね」
「水道の水だけです。氷はもうありません」
「じゃあ、これで我慢する……明日からは何を食べるの?」
「あとで県境の橋を渡って買い物に行きましょう。そのときに脅迫状を投函します」
「えっ?もうできたの」
亜矢子の驚いた顔もなかなかいいと思いながら、中野は完成したものを見せた。