狂言誘拐
「ねえ、窓をあけて。それからタオルを貸してもらえません?頭が埃だらけになっちゃう」
中野から受け取ったもので亜矢子は、姉さんかぶりにした。
男は窓をあけながら、
「そういう恰好は、セレブには似合いませんね」
「余計なことを云ってないで、さっさとお掃除しなさい」
引っ越してきてから六年になるこの部屋を、掃除したのは数回だけだと中野は思う。そして、ここに女性が入ったのは、やはり初めてだった。
実のところ彼には娘が居るのだが、ここの所在地を報らせていない。彼女は画廊経営者で絵画教室の教師、および画家である。中野は娘と余りにも生活レベルが違い過ぎるので、ここを見せたくないのだった。そんなことを思いながら、彼は微かな幸福感と共に天井と壁の掃除を続けた。きれいにすれば娘を呼べるかも知れないと、そんなことを思いながら掃事に励んだ。
文庫本やDVDは、段ボールにふたりで詰め込み始めた。狭い室内には本棚もあるのだが、その中はCDや無用の長物でしかないビデオテープと、大切な書物で一杯になっていた。