狂言誘拐
床だけは新しいフローリングの、元は畳敷きの和室だった六畳の部屋の壁には、中野が描いた数多くの油彩の風景画が吊り下げられていた。また、その部屋には安っぽいシングルベッドが置かれている。そして、隣同志に電子レンジとパソコンが置かれたテーブルと、リサイクルショップで買ってきた、安物のひじ掛け椅子がひとつ置いてある。床には幾つもの段ボール箱や、大量の文庫本、DVD、ちらし類などが散乱していた。
「こんなところで申し訳ないですけど、今のタイミングで掃除なんて、云ってられないでしょう。尊い命を救うためです。多少のことは我慢してください」
顔を紅潮させている中野は、羞恥心を伴う作業を続けながら云った。
「いいえ。駄目。こんなところに居たら病気になっちゃう」
亜矢子は帽子とサングラス、マスク、そしてコートを持ったまま茫然と立っていた。大きなバッグは既に床に置いてあった。
「それに、この悪臭は絵具と油の匂いね。呼吸が苦しいくらい」
「まあ、そう云わずに座ってください」
中野は憮然とした表情である。
「だめよ。暫くはここにお世話になるんだから、少しはきれいにしておかないと。あらっ、天井は蜘蛛の巣だらけじゃない。こんなところで、よく病気にならないものだわ」