狂言誘拐
急に赤面しながらも、それでいて中野は毅然としていた。
「尊い人の命を救うためです。私とあなたがここで話しているところを誰かに目撃されたら、計画が失敗してしまう」
亜矢子は更なる驚きをその声にこめた。
「じゃあ、引き受けてくださるの?!ねえ、本当に?!……でも、あなたに迷惑をかけてしまうわ。だから、間違いなく、報酬をお渡しします!」
中野は思い出していた。先程の非常に美味い寿司は、亜矢子のおごりだった。いつも昼には安い牛丼かコンビニのおにぎりしか食べられない彼にとって、それは大変な御馳走だった。そのせいもあって依頼されたことをむげに断れない、という気持ちになっていた。また、面白い小説を書くのに役立つ経験ができるかも知れない。そんなことも思った。このところ、新作に着手できないでいたのである。
「面白い小説を書かせて頂きます。報酬は要りません」
「だめ。報酬は受け取ってもらいます。どうしてもいやと云うなら、あの子を諦めます」
「じゃあ、それを、報酬を受け取りましょう」
それが五十万円にはなるかも知れないと、中野は咄嗟に思った。五箇月分の給料と同額の報酬だ。まるで夢を見ているようである。海外の風景を油絵で描くという、三十五年前からの夢が実現する。
「二億円マイナス手術費用が、あなたへの報酬です。手術費用は、一億五千万円前後ですから」
「と、いうことは、五千万円前後が報酬?!」