狂言誘拐
寿司屋での昼食が済むと、亜矢子は中野の申し出を遮って支払いをした。中野はぎごちなく礼のことばを述べた。サングラスとマスクと帽子、といういでたちのふたりは、タクシーで港の見える丘公園へ移動することになっていた。そこへ行ってから中野に頼みたいことがあると、亜矢子が云ったのである。
*
急な坂を登りつめた先の平日の公園内には、僅かな人影が認められた。亜矢子がタクシー料金を支払っている間に、先に車から出て待っていた紅いダウンジャケットの中野は、亜矢子に見えないようにあくびをした。
芝生の上では何匹かの猫たちが、春の陽射を気持ちよさそうに浴びて目を細めている。猫好きの中野は入り口付近に居る三毛猫の頭を撫ぜた。黒のコート姿で追ってきた亜矢子も、同じことをした。
ふたりは間もなく港の風景を遠望できるベンチの上に、肩を並べた。肌寒くはあるものの、気持ちのいい風だと、中野は思った。
「私に頼みたいことって、どんなことでしょうか」
中野の質問が、亜矢子の雰囲気を俄かに硬くした気配だった。
彼女は声をひそめて云いにくそうに告げた。