狂言誘拐
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紅い回転灯を光らせながら、道路を何台もの緊急車両が走っている。猛スピードで走る消防車と救急車、そして、パトロールカー。中野は交差点手前で停止したタクシーの中でハンドルを握りながら、続々とやって来るそれらの車の流れを眺めていた。どこかで火事を報らせる半鐘のような音も聞こえる。ことばを区切りながら避難を呼びかける有線放送が、緊迫感に拍車をかける。サイレンの音は、夢から覚めると同時に、か細い電子音のアラームに変わっていた。午後一時になる直前だった。
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旅行用のものと思われる大きなバッグを持っている待ち合わせの相手と、その店の前で彼は都合よく遭遇した。
「ご旅行ですか?」
サングラスとマスクの女は中野の問いかけに、
「違います。あとで説明します」
男があとから、家電量販店の隣の寿司屋に入って行く。中野は極度に緊張している。そこは、明るくて広い店だった。壁が金色に輝いている。ランチタイム中は十五貫までならどれでも好きなものを指定できると、湯のみを運んできた女性店員がにこやかに教えてくれた。全部タコでも大トロでも、或いはアワビでも、支払い額は変わらないのだという。