月見草(ある帰省)
そう声を張り上げると、得意げにそして満足そうに駅長は再び力強く笛を鳴らした。
第3章 月見草
岡山から特急に乗り、博多までたどり着いたのは夕方であった。
それから在来線に乗り換えて、郷里である日田市についたのはもう夜であった。
実家にたどり着いたときに所持金は15円だけであった。
24時間を超える長旅に疲れ、その日は泥のように眠りに就いた。
翌日、友人の健次が訪ねて来た。
車に乗ってやって来た。
工業高校を卒業してからジーンズの工場で働いているらしい。
早速ドライブに出かけた。
彼はその工場でけっこうもてるらしく、女性に関する武勇伝を語ってくれた。
「すぐに落ちる女はやっぱり良くない、なかなかやらしてくれない方がこっちも燃えるからな」
そんなものなのか、私には解らなかった。
しかし、そのような世界に自分も首を突っ込むことになるだろうという予感はあった。
恋愛というやつはさっぱり経験がなかった。
受験生が80万人いて受け入れる大学の定員は30万という時代だった。
しかも国立の大学に進学するためにはそれこそ寝食を惜しんで勉強しなければならなかった。
四合五落(四時間の睡眠時間なら合格、五時間寝れば落ちるという当時の受験生のための格言)の熾烈な戦いに身を置いて勉強してきた私には恋愛など興味はあっても実行する時間も精神力もなかった。
我々は夕方近くになって同級生の忍という女の子がアルバイトしている喫茶店に行った。
彼女は快活で大変魅力的であった。
我々の来訪を歓迎してくれた。
色んな話をして、アルバイトの時間が終わるまでその店で過ごした。
日が暮れ始めた頃3人でドライブに出かけた。
「健ちゃん車買うたと?かっこ良かー」と忍が喜んでみせる。
健次はわざと乱暴な運転をして忍の嬌声を煽った。
しかし、その嬌声はまるでジェットコースターを楽しむような明るい嬌声であった。
我々は河原に車を停めて外で並んで語り合った。
私は学生運動のことなどを話した。
朝鮮戦争に始まり、今はベトナム戦争と、資本主義と社会主義の対立が表面化して、日本でもアメリカの帝国主義や日本の資本主義のありかたに批判が出て来ている。
そんな中で東京大学で学園紛争が始まって全国の大学に飛び火して、今ではどこの大学でもこういった運動が盛んになっている。
そんな話をした。
「頭のよか人は色々考えんばならんけん大変やね〜」
と忍は感心しながら頷いてくれた。
河原には月見草が群生していた。
月明かりの中でまるでランプが灯るように鮮やかであった。
その時私は月見草の群落の向こうに何か点滅する灯りを見つけた。
「蛍か?」
私は一人その灯りの方向に歩いて行った。
その灯りはなんと言う事は無い、対岸を走る車のヘッドライトの点滅であった。
「蛍じゃなかったばい」
と二人のもとへ戻ったとき私は全てを理解した。
忍は眼を潤ませ、健次はうなだれていた。
私はハンカチを取り出すと忍ではなく健次に差し出した。
健次の唇に口紅がついていたからだった。
「お前、化粧ば落とさんかっ」
忍がクスっと笑った。
健次も頭を掻きながら苦笑した。
第4章 23歳の帰郷
五年後の夏、私はやはりネクタイをしていた。
就職試験のために京都へ赴いた。
なんとか面接試験を無難にこなし、就職できる手応えはつかめた。
しかし、まだ迷路の中にいた事は同じだった。
ただ違うのは5年間の経験であった。
いまやキャンパスにはアジ演説もチラシも闘争看板もなく、あの騒ぎは一体なんだったのだろうか?
ベルボトムの細いジーンズに長髪の学生が目立った。いわゆるヒッピースタイルである。
ヒッピーというのはアメリカで誕生したライフスタイルのひとつで、社会人として働くことを放棄し、自由に生きる事にのみ生き甲斐を求める生活スタイルである。
今で言うニートとか引き蘢りとは少し違って、ヒッピーである人どうしが連帯感をもって行動していた。それはある意味で社会に対するメッセージを発信する行動であり、反戦運動やそれに類する抗議行動に似ていた。
「反戦と個人の自由」が主なテーマであったと言って良い。
反戦はともかく自分が自分らしく生きて行く事と会社にはいって社会人として働くことがどういう形で一致できるのかがその当時の私には解らなかった。
5年間の学生生活の中で学生運動にも顔を出し、恋愛も経験し、ゲーテやマルクスやサルトルなどの哲学書も読んだりした。
様々な価値観や思想に触れるにしたがって自分にとって何が人生の一番大切なものなのか増々解らなくなってしまっていた。
しかし、現実の時間は私を追い立てた。
早く一人前の稼ぎが出来なければ生きて行けない。
極貧の生活から学びとったのはそんな現実のみであった。
とにかく就職して、それからまた考えるしかない。
そんな思いで面接試験に臨んだ。
京都から夜行の急行列車に乗り込んで郷里を目指した。
一度、体と心を休めてみたかった。
私の隣の陰気そうな学生は相変わらず読書にふけっていた。
彼に声をかけて何か面白そうな議論でも出来そうであったが、やはり疲れがあってそんな勇気は起こらなかった。
きっと、彼も迷路の中にいるだろう、、。
前に座った若い女の子たちは正面の男二人が陰気くさかったせいか通路を挟んだ陽気なピッピースタイルの若者と盛んに話したり笑ったりしていた。
車窓をぼんやり眺めて列車の揺れに身を任せているうちにウトウトと眠りに就いた。
ガクンと大きな揺れで目が覚めたのはもう夜中の3時過ぎであった。
眠気まなこをこすると、なんと前の席には女の子の間にさっきのピッピー野郎が割り込んで座っているではないか。
しかも、片方の気の弱そうなイチゴ柄のブラウスを着た女の子の肩に手を回し、何やら怪しげな言葉をひそひそと囁いているのだった。
被害者の女の子は何も言えず小さくなったままであったが、となりの友人の女の子は
「止めて下さいよっ」
とヒッピー野郎の行動を制止しようとしていた。
ほとんどの乗客が眠りに就いていたこともあってそのピッピーは醜態を止めようとはしなかった。
私はすくっと立って荷台の鞄を手に取ると
「おい、お前。ここに座れ。あんまりみっともない事するんじゃない。」
と言って自分の席を立った。
「いやーあのー自分の席も取られてしまって戻れないから、、」
と言い訳をした。
私は無視して通路を歩いてデッキへと向かった。
洗面とトイレのあるデッキで床に新聞紙をひいてそこに陣取ることにした。
5分もするとさっきの友人の方の女の子がお礼を言いに私のところまでやって来た。
「ありがとうございました。助かりました。いいんですか?こんなところに座って。」
「いや、いいんです。この車両はたしか門司駅で切り離されて日豊線になるはずです。
僕は博多方面に行くのでいづれ席を立たなければならなかったから、気にしないでください。」
私の住所と電話番号を教えてくれと言われ、小さなメモ帳を渡された。
何か気恥ずかしい思いもあったが快く彼女のメモ帳にペンを走らせた。
(郷里の実家にその友人の女の子から電話があったのは翌々日であった。)
洗面とトイレのあるデッキには数人の乗客がいた。