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仮面舞踏祭~カーニバルの夜に~

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 思い切り笑ってやれば良いのに、何故か心は余計に沈むばかりだった。例の伸吾が辞めたという知らせを教えてくれた例の後輩に話すと、その子はメールでこう言ってきた。
-先輩、それって、もしかして未練ってヤツじゃない? 
 その瞬間、ケータイの画面に打ち出された文字を何度も眺めながら、友里奈は妙に納得してしまった。
 そうか、私はまだあいけ好かない卑劣漢に未練を持っているのか。
 我ながら、みっともない話だとも思ったが、〝未練〟だとはっきり指摘されて、かえって気が楽になった。永遠に答えの見つけられなかったクイズの解答を教えて貰ったような気分になった。
 このヨーロッパの名前も聞いたことのない小さな国の仮面舞踏祭のことを教えてくれたのも、その後輩だった。
-先輩、まだ内藤さんに未練があるんじゃない? (注-内藤というのは伸吾の名字である。)
 後輩のよこしたメールの最後には泣き顔を表す絵文字が入っていた。
 その情けない涙顔を眺めながら、その瞬間、友里奈は仮面舞踏祭に行こうと決意したのだった。
 これは優柔不断な友里奈としては極めて珍しい決断ともいえる。友里奈は驚く両親を説得し、けして早まったこと-両親は友里奈が失恋の痛手のあまり、遠い異国で自殺するのではないかと心配した-をしないという約束をした。なけなしの退職金の半分をはたいて、この国までの飛行機の搭乗券やその他諸々の準備を整えた。
 そして今夜、運命の夜がやってきた。
 とはいえ、何ということもない、ただの乙女の感傷(センチメンタル)旅行(ジヤニー)にすぎない。もっとも、28にもなった女を世間一般では乙女と認めてくれるかどうかは、はなはだ疑わしいが。
 それはともかく、友里奈はこの夜を待ちわびていた。
-おまえのような、つまらない女。
 あの男はそう言ってくれた。まるで人をボロ雑巾のように都合の良いように利用するだけ利用して、あっさりと棄てる間際の台詞がそれだ。
 今夜、自分は他の人にどんな風に映るだろうか? 傍らに佇む30過ぎのほどの金髪碧眼男は相変わらず友里奈の方をちらちらと見ている。その思わせぶりな視線から、今夜の友里奈は自分が考えていた以上にうまく化けることができたのが判る。
 隣の男がついに意を決したように彼女に向かって何か言いかけたまさにその時、友里奈たちの佇むメインストリートの向こうから金ピカに飾り立てられたカボチャが静々とやってくるのが見えた。途端に周囲から歓声が上がり、傍らでしきりに話しかけてくる男の声は一瞬にして周囲から沸き立つ騒音にかき消された。
 それにしても、大きなカボチャだ。何でもその年に収穫されたカボチャの中で最も大きなものが選ばれるということだったが、今、まさに向こうから大きな荷車に乗せられ、何頭かの馬に引かれてくるカボチャは、大の大人の男が両手で持っても抱えきれないほどの大きさがある。
 その巨大カボチャがこれでもかいうほどペインティングされた上に飾り立てられているのだ。馬車というよりは、装飾過多の御神輿といった感じに見える。
 まあ、この町の人にはこれがごく当たり前に行われている祭なのだろう。その時。
 友里奈はふいに背後から左手首を掴まれた。
-なに、あの男?
 真っ先に浮かんだのは、友里奈の隣にいたあのなかなかのイケメン金髪男である。友里奈はいかにも迷惑げに振り向いた。
「No、no。I came to this town from Japan to see this cornival! Don,t disturb!」
 自慢にもなりはしないが、友里奈は英語なんてまともに喋れやしない。大学の授業では自由選択だったから、怠け者の彼女は選択しなかったし、大学を出てから多少勉強して英検2級は取ったものの、五年も前のことだ。第一、その程度で外国人と対等に渡り合えるはずがない。
 友里奈は思いつく限りの単語を並べ立てた。ここで邪魔をして貰っては困る。退職金半分をはたいて、わざわざ来た意味がない。通じようが通じまいが、とにかくこの手を離して貰わなければ。
 だが。勢いよく片言英語をまくしたてながら振り向いた友里奈は眼を瞠った。
 彼女の左手をしっかりと掴んでいたのは金髪男ではなかった。身の丈は同じくらいあるけれど、漆黒の髪、東洋人特有の黄色みの強い肌。どう見ても東洋系の男だ。
 長めの前髪が少し額にかかっているのを鬱陶しげに払う仕草もサマになっている。鳥の白い羽でこしらえた仮面がよく似合い、ほどよく引き締まった体躯を趣味の良い淡いピンクのシャツと濃紺のベスト・パンツが包んでいる。
 日本を遠く離れた異国の仮面舞踏祭の夜、颯爽と現れた男。あたかもドラマか映画のワンシーンのようにも思えた。
 刹那、友里奈たちの周囲からひときわ大きな歓声とどよめきがわき起こった。友里奈は掴まれた手はそのままに伸び上がるようにして前方を見つめる。
 いよいよ黄金のカボチャが眼の前を通る。通りを挟んだ向かい側の最前列に陣取る若い恋人たちは情熱的なキスを交わし、至るところで似たような熱い抱擁と接吻が繰り返される。
 友里奈はそれらを横目で見つつ、ふつうなら他の人にも聞こえるでろあうほど大きな声で言った。
「内藤伸吾、内藤伸吾-」
 憎らしいのに忘れられない男の名前を九度まで唱えた時、友里奈の手を掴んだ男が信じられないほどの力で彼女を引っ張った。大の男と女の力では所詮、比べものにはならない。
 友里奈は渾身の力で抗ったけれど、抵抗はすぐに力でねじ伏せられた。
「何をするの!」
 相手が東洋系であることは判ったが、日本人とは限らない。が、この際、そんなことはどうでも良かった。ここで伸吾の名前を唱えられなかったら、わざわざヨーロッパくんだりまで来た甲斐がない。
 男は友里奈の手を引っ張り、彼女は彼の逞しい胸にまともに顔を押しつける体勢になる。
「何を考えてるの? こんなことをして」
 友里奈が憤慨して叫ぶのと、男がおもむろに仮面を外すのは殆ど時を同じくしていた。
「-!!」
 友里奈は言葉を失い、惚けたように男を見上げた。何で、この男を忘れるためにわざわざヨーロッパの小さな町まで来たというのに、そこに当の男がいるのだろう?
 そのときの友里奈はさぞかし間抜けに見えたに違ない。
「ど、どうして、あなたがここにいるのよ?」
 友里奈が興奮と衝撃のあまり声を震わせると、伸吾はたった今、取り去ったばかり白羽根の仮面にチュッと音を立てて口づけた。
 相も変わらず気障ったらしい男だ。しかし、不思議なことに、以前の友里奈であれば-彼にあれとほど手痛く裏切られた後でさえ-、こういった彼の仕草を〝絵になる〟と思い込み、思わず見ほれたであろうものだったのに、今は少しも心がときめかない。
 かえって、こんな場所まで来てカッコつけようとする男の見栄がいかにも彼という人間の薄っぺらさを象徴しているような気がして、反吐が出そうになる。
「何故、俺がここにいるかって? 答えは簡単、小百合に聞いたんだよ」
 〝小百合〟というそのいかにも親しげな馴れ馴れしい呼び方に、友里奈はピンときた。たとえ何の証拠がないとしても、こういう場合、女は動物的に鋭い嗅覚が働くものなのだ。