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仮面舞踏祭~カーニバルの夜に~

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 思えば、その頃は、香恵が〝恋バナ〟の相談で〝元彼とよりを戻すには、どうしたら良いか〟と伸吾に相談を始めた時期と重なる。
 何が元彼だ、恋バナの相談だ。あれは香恵が仕組んだ巧妙な罠であり嘘であった。さらに悪いことに、伸吾はその罠が罠であると知りつつ、騙された風を装い香恵と関係を持った。
 だが、茶番はそれだけで終わらなかった。伸吾は香恵とも結婚する気は全くなかった。計算高い彼は取引先のK社専務の一人娘と結婚するつもりだったのだ。専務はK社の代表取締役の弟であり、あそこの社長に実子はおらず、その後は弟の専務が継ぐことは業界関係者なら誰もが知っていた。
 つまり、香恵も友里奈も伸吾に良いように遊ばれた、ただそれだけの話だ。
 天が遠くにあるから甘く見ると、とんだ天罰が下るとはよくいうけれど、伸吾の場合もまさにそれだった。私に別離を切り出そうと駅前のスナックに呼び出した夜、何と香恵が血相変えてやってきたのだ。
-伸吾さんを返して。私のお腹には赤ちゃんがいるの!
 友里奈は心底あきれ果てた。何が伸吾さんを返して、だ。元々、そちらが私の彼を横から奪っていったのではないか。
-赤ちゃんがいるですってよ、伸吾。
 友里奈と伸吾はカウンター席に座っていたが、彼女は眼の前に置かれたすっかり生温くなったテキーラを伸吾の頭の上からかけてやった。
 あのときの男の顔といったら!
 いつもは従順で彼に逆らったことなんてない友里奈がいきなりな行動に出たものだから、眼を白黒させていたっけ。更に香恵はおもしろいことをやってのけてくれた。友里奈の前に突然現れたのと同じことを伸吾が結婚しようとしていたK社専務の令嬢にもしたのだ。
 清楚なお嬢様がカルチャースクールの花嫁修業から帰る途中、待ち伏せて大声で言い放ったらしい。
-伸吾さんを返して。私のお腹には彼の赤ちゃんがいるのよ。
 と。
 全く大根役者ばかりが揃った視聴率の悪い恋愛ドラマみたいで、自分がその中の登場人物の一人なのかと思うと、いやになる。しかし、香恵はあの男-伸吾にはこれ以上はないというほど痛烈なパンチを食らわしてやったのだ。
 当然ながら、お嬢様は事の真偽をよく確かめもせず父親に泣きつき、伸吾との縁談は破談、香恵以上にずるがしこい男の目論見は夢と潰えた。
 果たして、香恵の主張する妊娠が真実だったのかどうか。逃げ腰になった男を捕まえておくために、妊娠というのは女が使う常套手段だ。しかし、この全くもって古典的な方法が意外に男を引き止めておくには今も効果がある。時代がどれだけ変わろうと、人間という生き物がいかに情にほだされやすいかの証でもあるだろう。
 たとえ、伸吾のように、どうしようもなく狡猾かつ卑怯な男でも、だ。それは伸吾がその事件からもののひと月としない中に、いささか滑稽とも思えるほど大慌てで香恵と入籍したことでも知れる。
 まあ、噂では香恵の父親が伸吾の両親と暮らす自宅まで怒鳴り込んできたせいで、煮え切らない男が腹をくくった-なんてことまで囁かれているけれど。
 今更、友里奈にとっては、すべてがどうでも良いことだ。伸吾が誰と結婚しようが、自分は世間的には〝棄てられた女〟であることに変わりはないのだから。
 あんな男、こっちから願い下げだ。伸吾と香恵の電撃入籍を耳にした瞬間、思ったはずだった。なのに、そうはいかなかった。
 時は忘れ薬だと人はよくいうけれど、あんなのは所詮、きれい事か失恋の痛手を味わったことのない人の言いぐさだ。仮にも結婚しようと決めて付き合い、付き合った期間の半分近くの週末は同棲に近い暮らしをしていたのだから、容易く想い出が消えてくれるはずがなかったのだ。
 二人で友里奈の住むアパート近くの小さなスーパーで夕食の買い物をしたこと。伸吾が荷物で一杯になったカートを押してくれ、友里奈がレジで支払いを済ませたこと、寒い冬の夜、鍋をつついた後、コーヒーが飲みたいねなんて言い合って、やはり近くの自販機まで缶コーヒーを買いにいったこと。そのときに二人並んで見上げた夜空に冬のオリオンがきらきらと輝いて、まばゆい光のネックレスみたいだね、と伸吾が嬉しげに友里奈に語ったこと。
 今から思えば、実に他愛ない、どこまでが本気か判らないような男の台詞だったけれど、あの時、友里奈は確かに彼に恋していたのだ。
 K社専務の令嬢と付き合っていたのが何と香恵と関係を持つ少し前からだというのだから、あの男は三人の女の間を行ったり来たりしていたことになる。
 まさに女の敵のような男だ。そう思って、あっさりと忘れれてやれば良いのに、情けないことに友里奈にはできなかった。ともすれば、あいつの笑顔が瞼でフラッシュ・バックしている。
 その点、女たらしというものはすべてそうなのかもしれない。伸吾は妙に人懐っこいところのある男であった。まるで子どもというのか、俺様で自分が主導権を握りたがる癖に、妙なところで急に甘えた猫のようにすり寄ってくるというのか。
 冷めた眼で見つめれば、単なる我が儘な責任感のない情けない男なのだけれど、その男に惚れて夢中になっている間には、その欠点も美点に見えるから厄介だ。
 伸吾と別れてから、友里奈は会社を辞めた。ほぼ同時期に香恵も辞めたが、それは伸吾と結婚するための寿退社である。友里奈のように〝男に棄てられて、居づらくなった〟わけではない。皮肉なことに、友里奈たち三人は部署こそ違えども、同じ会社に勤務していた。私と伸吾は同期入社で社内恋愛し、私が伸吾を親友の香恵に紹介したのである。
 友里奈の勤務する会社は外資系の結構名の知れた出版社だった。伸吾は営業、友里奈は総務、香恵は編集に所属していた。友里奈と伸吾が親しくなったのは、営業部の彼が必要な書類を総務に届けにきたのが始まりだ。
 伸吾は今風のイケメンというのではないが、不思議に人好きのする男だ。また、どうすれば自分をより魅力的に演出できるかというコツを心得ているので、おしゃれも上手である。なので、二枚目半くらいでも十分、〝良い男〟に見えた。一方の友里奈といえば、おしゃれも下手だし、平凡中の平凡。10人と出会って、その中の2人が覚えていてくれればマシというくらいの印象の薄い目立たない女なのだ。
 だから、先に伸吾の方から〝付き合わない?〟といわれたときには正直、驚いた。今から思えば、あれもどこまで本気だったか知れたものではない。まあ、彼がそれまでの人生で付き合った女たちとは全く別種類だったから、物珍しく見えたのだろう。それが意外に長続きしたというところだろうか。
 香恵が辞め、友里奈も辞めてほどなく、伸吾自身も会社を辞めた-と、これは、後輩の女の子からのその後の電話で知ったこと。やはり、大切な取引先のお嬢さんを泣かせたことが我が社の社長の耳に入らないはずがない。
 伸吾が半ば辞めさせられるという形で辞表を出したと聞いても、友里奈の心は晴れなかった。あんな男、良い気味だ。どこに行ったって、どうせ良い加減でその場限りのことしかいわないから、信用なんてされるはずがない。