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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅡLove is forever

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 空には半月が浮かんでいる。夜空にぽっかりと浮かんだ月は、丁度、黄色い蒸し饅頭をきっちりと半分に割ったようだ。
 徳宗は莉彩の問いには応えず、全く別のことを口にした。
「莉彩、私には幼い頃、夢があった」
「夢、にございますか?」
「ああ、私は六歳で母上(オバママ)を喪い、父上(アバママ)は健在ではあっても、私にとっては常に遠い人だった。大きくなったら、私は心から愛する女性とめぐり逢い、たくさん子どもを作るのだと考えていた。自分の子には私のように淋しい想いはさせないと子ども心に思いつめていたものだ。今から考えれば、随分とませた子どもだったな」
 ひそやかな笑い声を立てる徳宗の横顔を月光が蒼く染めている。王者らしい秀でた横顔に一瞬、見惚(みと)れた。
「子どもながらに、温かい家庭というものに強く憧れていたのだろう。私には物心ついたときから、ずっと無縁のものだったから」
 莉彩は徳宗のしみじみとした述懐に静かに耳を傾けていた。
「私は今、幸せだ。愛する妻と息子が側にいて、あれほど手に入れたいと願っていた温かな家庭、家族がこの手の内にある。そなたは私がそなたのために何もかもを棄てたと思うているようだが、私に言わせれば、そなたが私にすべてを―私の望むものを与えてくれたのだ。私は、そなたにどれほど感謝しても足りないほどだぞ」
「私も幸せにございます。心からお慕いするお方の傍にこうしていられて、そのお方の子を授かることができました」
 それは莉彩の素直な心境だった。
 だが。こうして幸せに浸れば浸るほど、逆に怖くなる。こんなに幸せで良いのかと、この幸せがいつまで続くのかと不安になる。
 本来なら玉座に座る至高の位にあるべき人の運命を、進むべき道を変えさせてしまった。そのことがどれほど重い罪で、どのような代償を払わねばならないのか。改めて考えてみただけでも怖ろしい。
 明日は雨だろうか、半分だけの月は雲に閉ざされがちで、その影も朧に滲んでいる。
 まるで克明には見えぬ月が未来を暗示しているようで、莉彩は胸騒ぎにかすかに身を震わせる。
「どうした、寒いのか。震えているぞ」
 徳宗が莉彩の肩をそっと抱き寄せる。
「風が出てきた、そろそろ中に入ろう」
 徳宗の言葉に、莉彩は嫌々をするように小さく首を振る。
「今はまだ、こうしてご一緒に月を眺めていとうございます」
 六月初旬の夜は深く、風はまだひんやりとしている。莉彩は愛する良人の肩にそっと身を預け、夜空をいつまでも眺め続けていた。

 徳宗が朝鮮第九代国王ではなく、ただ人の李(イ)光徳(カントク)となってから、五月(いつつき)。
 熱い夏が終わり、都から離れた小さな農村にも秋が来た。澄んだ空気に山々がくっきり立ち上がり、樹々は鮮やかに色づく。
 今のところ、都がどうなっているのかは判らない。ただ、国王が失踪したなどと大騒動にはなっていないことだけは確かで、考えてみれば、国王殿下が突如として姿を消すなどということ自体、あり得ないことだった。
 大方、朝廷が今のところは何とか事をおさめているのだろう。現に、夏の終わりに、国王徳宗が篤い病の床にあるという噂がここまで流れてきた。
「直に大臣たちが図って、新しい国王を立てるだろう。そうなれば、私は本当に自由になれる。九代徳宗は病で亡くなり、この世から永遠に消える。私がいなくなっても、代わりは大勢いるのだ。王室には丁度良い頃合いの男子は山のようにおるゆえ、その中の誰かが十代目の王に擁立される」
 徳宗はまるで他人事のように淡々と言った。その表情からは彼が玉座を棄てたことを後悔しているのかどうかまでは判らなかった。
 そんなある日のこと、聖泰の遊び友達の一人である女の子が都にゆくことになった。都にゆくといっても、何も物見遊山に行くのではない。女衒に連れられ、妓楼に売られてゆくのだ。
 今年の夏は極端に雨が少なかった。秋の実りはあまり期待できそうになく、飢饉が起こるのは明らかだ。そうした中で、たいした労働力、働き手にならない幼い少女はわずかな金のために実の親に売られることが多かった。
 妓楼に売られた娘はやがて成長すれば、遊女となって客を取る。夜毎、男たちの間を流れ、漂う悲惨な運命を辿るのだ。
 売られていった子は、聖泰とは殊に仲が良かった。まだわずか八歳ながら、家計を助けてよく働くと評判の親孝行娘だったのに、父親が酒好きで毎日、浴びるように酒を呑む。父親は酒代欲しさに娘を売ったのだ。酒さえ呑まなければ、一家五人何とか暮らしてゆけたものを、食糧難は日々、深刻になるばかりで、その日食べる米さえ底を突くようになってしまっては致し方なかった。
 聖泰は、その娘を姉のように慕っていた。
 その少女が売られていった日、聖泰は大きな眼に涙を一杯溜めて村の入り口まで送っていった。その日を境に聖泰は何事か考え込んでいることが多くなった。
 少女が売られてから数日後、聖泰が徳宗に訊ねた。
 丁度その時、徳宗は畑仕事を終え、家の中でひと息ついているところだった。
 元々、剣術・馬術などの鍛錬も欠かさない徳宗は特に護衛が要らないといわれるほど武芸にも秀でていた。ゆえに力仕事も楽々とこなしている。
 連日の畑仕事で陽に灼けたその貌は男らしく、髭を剃ってさっぱりとしたその整った貌は精悍さと若々しさを増したようで、村の女たちからも〝こんな男前は小さな村には勿体ないよ〟と熱い視線を集めていた。
「お父さん(アボジ)、この国にはどうして、こんな風にお金持ちと貧しい人がいるの?」
「ホホウ、そなたはその小さな頭で随分と難しいことを考えておるのだな。聖泰、そなたは何故だと思う?」
 徳宗は幼い息子の疑問をはぐらかしたりせず、ちゃんと受け止めた。
「それは、貧しい人たちからたくさん取り上げる人がいるからじゃないかなぁ」
 徳宗は額に滲んだ汗を手のひらで無造作にぬぐいながら、笑みを浮かべる。
「そなたの言うとおりだ。難しい言葉で言えば、不当に搾取する―、つまり、取り上げる人がいるから、持っているものが少なくなり、生活が苦しくなる。聖泰は、そのような人々を助けるためには、どうすれば良いと思うのだ?」
 聖泰は少し考え、思慮深げな瞳で徳宗を見つめた。
「お金や財宝を持っている人が自分だけ貯め込んでいないで、自分の宝を貧しい人に分け与えてあげれば良いんだよ」
「そうだ、もし、そなたが国王なら、貧しい人たちに自分の宝を分け与えてあげるか?」
 父の問いに、聖泰はにっこりとした。
「うん、貧しい人たちに自分のお金を分けてあげる。お父さん、ボクはうんと勉強して賢くなって、大きくなったら、国王さまにお仕えする大臣になりたい。そうして、貧しいからって売られてゆく子どもが一人もいなくなるような、そんな世の中を作りたいよ」
 聖泰は嬉しげに言うと、ぴょんぴょん跳ねながら、外へ出ていった。久しぶりに見る聖泰の明るい笑顔に、莉彩も思わず微笑む。
 徳宗は粗末な野良着を身に纏い、椅子に座って何かの想いに耽っているようだ。