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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅡLove is forever

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「それでは、そなたは六年前、莉彩がいなくなった当時、懐妊していたと申すのか?」
 徳宗が念を押すと、崔尚宮は深く頷いた。
「恐らくは間違いございませぬ。あの頃、淑容さまは胃の調子が悪いとか仰って、松の実粥すらお食べになれない有様でございました。私は、それがご懐妊の兆候―悪阻でないかと拝察致しておりましたが、淑容さまご自身が懐妊の事実を明らかにはなさりたくないご様子でございましたゆえ、私から申し上げるのは、はばかられました」
「何故、今になって、そのことを話す気になったのだ? 崔尚宮」
 徳宗が問うと、崔尚宮は淡く微笑した。
「先刻も申し上げましたように、殿下がお悩みのご様子とお見受け致しましたゆえ、思い切ってお咎めを承知でお話させて頂くことに致しました。それに、殿下、淑容さまのお生み奉った御子は殿下にとってはたった一人の王子さま、いずれこの国の王となるべき大切なお方です。私一人の一存で勝手にこのような重大事を胸に秘めておくような大それたことはできませぬ」
「あい判った。よく話してくれた。そなたを咎めなどせぬ。むしろ心から礼を申す」
 徳宗は崔尚宮を下がらせた後、大殿に戻り、一人部屋に籠もった。いつもは傍にいる内官も追い出し、一人で物想いに耽った。
 先刻からまるで檻に入った欲求不満の熊のように、部屋を行ったり来たりした挙げ句、漸く座ったところだ。
 徳宗の眼裏に莉彩の連れていた子ども―聖泰の顔がありありと甦った。
―何ということだ!!
 あの子どもこそが、徳宗の血を分け、連綿と続いてきた朝鮮王室の血を繋ぐ王子だったのだ。
 利発そうな涼しげな眼許、少し利かん気そうな口許、言われてみれば、幼い頃の自分に似ていたような気がするのは、やはり親馬鹿というものだうか。
 絶望感な苛まれ、徳宗は思わず両手で顔を覆った。しばらくやり切れない想いと憤りが彼の中で渦巻いていたが、やがて、彼はハッとして立ち上がった。
 聖泰がしゃがみ込んで無心に描いていた絵とその下に書き込まれていた字がよぎってゆく。
 あの子は確かにこう書いていた。〝お父さん、お母さん〟、それに両親と思われる男女の絵と、小さな子どもの絵―恐らく彼自身だろう。
―私は、一体―。
 父親として小さなあの子に何をしてやったのか。あれほどまでに顔も知らぬ父親に焦がれていた幼子に、どのような仕打ちをしたのか。
 徳宗は莉彩にあの子を〝姦夫の子〟とまではっきりと言った。
 私は何と愚かな了見の狭い男だったんだ!! 
 王の思考は目まぐるしく回転する。莉彩の子聖泰は今は五歳になっているはずだ。だとすれば、莉彩が聖泰を身籠もったのは六年前という計算になり、丁度その頃、莉彩と徳宗は十年の時を経て漸く結ばれたのではないか!
 その頃、体調を崩していたこと―ひどい吐き気で薄い粥さえもろくに喉を通らなかったことを思い出す。莉彩は尚薬の診察を頑なに拒んでいたが、今から思えば、あれは懐妊を知られたくないためだったのだろう。すべてを考え合わせれば、六年前、莉彩が現代に戻る直前、懐妊していたのは明白だ。
 だが、何故、莉彩は懐妊を徳宗にまでひた隠しにしていたのだろう。更に、四年ぶりに今回、この時代へ現れた際にも聖泰が徳宗の子ではないと言い切ったのか。
 莉彩がそのような嘘さえつかなければ、徳宗は莉彩をああまで手酷く扱うこともなく、聖泰に対しても父親として接することができたはずだ。
―莉彩!!
 徳宗は心の中で最愛の女の名を呼び、躊躇うことなく部屋を飛び出した。

 莉彩は幾度か咳をすると、もそもそと布団の中で身体を動かした。夏風邪を引いてしまったのか、どうも熱っぽくて、いけない。高熱というわけではないのだが、ここ数日、もう微熱が続いて身体がだるい状態が続いている。
 幸いにも一人息子がよく働いてくれるので、莉彩は随分と助かっている。小さな身体でくるくるとよく動く。身体を動かすことが好きなのは莉彩に似ているのかもしれない。他人を思いやることのできる優しさは、あの男(ひと)譲りなのだろうか―。
 そこまで考えて、莉彩はハッとした。
 いけない、また、あの男のことを考えている。都から遠く離れたこの小さな村に来て、はや二年が流れた。あの時、三歳だった聖泰は五歳になった。
 これだけの日々を重ねて、あの男と離れて暮らしたというのに、相も変わらず、あの男の面影は莉彩の心の奥底に灼きついて消えない。忘れようとすればするほど、なおいっそう恋慕の想いは切なく烈しく燃え盛る。
 おかしなものだと、自分でも思わずにはいられない。あの男と別れると決めたのは自分だ。自分の方から離れていったというのに、どうして、こんなにも未練や執着が残る―?
 二年前、徳宗と共に生き、この朝鮮で一生を終える覚悟をするようにと金大妃から言われた時、莉彩は咄嗟に返事ができなかった。結局、莉彩は大妃に現代を棄て徳宗を選ぶとは言えなかったのだ。
 ならば、あの瞬間、莉彩は、愛する男を選び取れなかったのだとはっきりといえる。本当に彼を愛しているならば、何もかも棄てる覚悟くらいできるはずだ。
 それでもなお、莉彩は徳宗を忘れられない。幾度となく優しかった笑顔や逞しい腕、抱きしめてくれた温もりを記憶に甦らせ、人知れず涙する。
 喉の渇きを憶え、莉彩は褥に身を起こした。
 自分は結局、愛する男とも生きられず、たった一人、五百六十年前のこの朝鮮でひっそりと一生を終える宿命なのかもしれない。どちらをも選ぶこともできず、何も得ることはできないで―。
 こんな弱気では駄目だ。莉彩は小さくかぶりを振り、ともすれば落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせようとする。
 自分には聖泰がいる。莉彩は女である前に、母なのだ。子のためには、母は常に強くなくてはならない。聖泰を守ってやれるのは、莉彩の他にはいないのだから。
 二年前、宮殿を孔尚宮の手引きでひそかに出奔してから、莉彩は聖泰を連れて、この鄙びた農村に流れ着いた。都からは馬でもゆうに一日はかかり、徒歩(かち)ならば大人の脚でも二、三日はかかる道程(みちのり)だ。
 宮殿の裏門の前で、孔尚宮とは別れた。別れ際、孔尚宮は懐から小さな袋を取り出し、莉彩の手に握らせた。
 錦の巾着はずっしりとした重みがある。莉彩が物問いたげに見つめると、孔尚宮が小声で言った。
―これは、大妃さまからの餞別です。これを売れば、当分は母子二人で何とか暮らしてゆけるでしょう。都から離れた場所でひっそりと生きてゆくようにと大妃さまは仰せにございます。
 更に孔尚宮はもう一つ玉(オク)牌(ぺ)を取り出し、莉彩の傍らに立つ聖泰に渡した。
―こちらは大妃さまより王子さま(ワンジヤニィ)へお渡しするようにと。
―孔尚宮。
 莉彩が何か言おうとするのに、孔尚宮は毅然として言った。
―淑容(スギヨン)さま(マーマ)。大妃さまはすべてをご存じでいらっしゃいます。聖泰さまが紛れもなく国王殿下のお血を引く王子さまであることもご承知の上で、淑容さまとお二人を都から出して差し上げるご決意をなさったのです。
 すべては莉彩当人の意思を尊重したからだ―と、孔尚宮の眼は語っていた。
 孔尚宮はしゃがみ込むと、聖泰の顔を覗き込むようにして言った。