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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅡLove is forever

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 少し残念そうに言い、最後にこう付け加えた。
「たとえ憎んできたとしても、息子だ。私を心から〝母〟と呼ぶ殿下に対して、私は私なりのやり方で一度だけ誠意を見せたにすぎぬ。淑容、そなたが生涯をこの国で過ごすつもりがないというのなら、早々に出宮するが良かろう。その気もないのに、殿下のお側にいるは酷というものだ。共にいるのが長引けば長引くほど、情も深くなり未練も残る」
 立ち上がった大妃に、莉彩は初めて心から頭を下げた。
その日、莉彩の姿がまたしても宮殿から消えた。もとより、莉彩の連れていた幼児も同様に姿を消した。その手引きをしたのは大妃に仕える懐刀の孔尚宮であり、そのことを知る者は誰もいない。

  Half MooN

 徳宗は汀に一人佇み、池を眺めていた。ここは南園と呼ばれる宮廷の庭園である。
 ふと悪戯心を起こし、徳宗は脚許の石を拾うと、力を込めて池に放った。投げ上げた石は大きな弧を描いて、水面に落ちる。刹那、漣が起こり、池の面に波紋がひろがった。
 到底、人の手になるとは思えぬ巨大な池の傍が、ここのところの彼の憩いの場となっていた。徳宗が一人になりたがるので、大殿付きの内官や劉尚宮は少し離れた後方で王を見守っている。
 巨きな池の水面には紅白の睡蓮が浮いている。池の周囲には名前も知らぬ小さな花が群れ咲いていた。野辺の草のような可憐な花だ。
 徳宗はしゃがみ込むと、その白い可憐な花を一輪だけ摘んだ。
 何故か、その花に一人の女の面影が重なる。
 徳宗は想いを振り払うかのように、首を振る。昨夜の顛末を思い起こし、徳宗は自分で苦笑した。
 昨夜、徳宗はさる女官を寝所に召した。大妃殿に仕えるまだ若い女官だ。確か歳は―、思い出そうとしても思い出せない。要するに、徳宗にとっては、その程度しか心に残らなかった娘だということだ。せいせいが歳は十六、七といったところだったはずだ。
 全く、自分は何をしているのか。四十六になって、十六、七の若い女官を召し出して何をするつもりだったのだろう。もし自分に娘がいたとすれば、娘ほどの歳の女官だ。
 いや、と、更に苦笑が湧き上がる。もう二十四年も前に亡くなった中殿があのまま健やかな翁主を生んでいたら、その姫はもう既に二十四だ。生憎かどうは判らないが、中殿の流産した胎児は王子となるべき男児だった。もし仮に子が無事に生まれていたとしても、自分に可愛い娘はいなかっただろう。
 昨日の夕刻、徳宗は大妃に呼ばれた。逢いたくもない義母ではあったが、立場上は母であるから、礼は尽くさないといけない。それで出向いたら、思いもかけず贅を凝らした料理が次々と運び込まれ、大妃と二人で食事をする羽目になった。
 その日はいつもの刺々しい態度もなりを潜め、正直、徳宗はこの義母が長くはないのかと本気で心配したほどだ。それほどの変わり様、まさに手のひらを返したような対応だったのである。
 食事が和やかな雰囲気で終わると、今度は酒肴が出され、いつしか年頃の若い女官が傍に控えていた。すっかり盃を重ねていた彼は、彼女がいつ部屋に入ってきたのかも判らないほど既に酔っていた。
 あのままであれば、大妃は徳宗を毒殺なり刺殺なり、どうでもすることができただろう。普段は相当量呑んでも酔わないし、ここまで酔うほど呑むことはない。ましてや、大妃殿で正体を失うほど泥酔するとは不覚中の不覚といえた。
 しかし、昨夜の大妃は用心深い王をそこまで油断させるほど友好的であり、長年の憎しみとわだかまりもどこかに捨て去ったかに見えた。徳宗もやはり、大妃の変わり様が嬉しかったのだ。
 すっかり酔ってしまった徳宗を大妃は引き止め、今宵はここでお寝みになってはと勧めた。その辺りまでは朧な記憶があるが、後はずっと傍に侍っていた女官に脇から支えられ、急遽設えられた寝所へと入ったらしい。
 そしてすぐに熟睡してしまった彼が明け方になって目ざめた時、隣には例の若い女官が同衾していたというわけだ。女官はチョゴリとその下の上着を脱いで、あられもない下着姿になっていたが、徳宗は別に欲情もせず彼女を抱きたいとも思わなかった。
 男として見ても、魅力的な娘だったと思う。若く弾力のある艶やかな膚は白く、胸の膨らみも十分豊かだった。
 だが、莉彩の他に抱きたい女はいない。他の女など要らないのだ。徳宗は目ざめるなり、唖然とする女官をその場に残し、大殿に戻った。
 今頃、大妃は何と甲斐性なしの男よと高笑いして、笑い転げているに相違ない。大妃としては柄にもなく親心を発揮して、義理の息子のために新しい女を見繕ってやったつもりだろうが、肝心の不肖の息子は女を相手にその気になれなかったのだ。
 今日中には国王はついに男性機能を失ったなどと実に不名誉な噂が宮殿中を駆けめぐることになるのだろう! 大臣や重臣たちは額を寄せ合い、これで世子となる王子誕生の望みもついに断たれたと訳知り顔で囁き合うに違いない。
 あれほどの美貌で豊かな身体を持つ娘を袖にする男など、おそよこの世にはおるまい。ただ一人の例外を除いては。
 まあ、男としてはあまり愉快な話ではないが、言いたい者には好きなだけ言わせておけば良い。
 徳宗は思い出し笑いをおさめると、内官や尚宮たちの待つ方へと元来た道を戻りかけた。その時、逆方向から見憶えのある顔がやって来るのが見えた。
 かつて孫淑容に仕えていた崔尚宮である。
 孫淑容こと莉彩が再びかき消すようにいなくなって、既に二年の月日を数えていた。最初、徳宗は莉彩がまた現代に還ったのかとも思った。が、すぐにその考えを打ち消した。
 言葉では言い表せないもの―、何らかの勘が莉彩はまだこの時代にいると告げていた。徳宗には判る。たとえどんな状況にあろうと、あの女が自分からさほど遠くない場所、つまり自分が生きるこの時代、逢おうと思えば逢える同じ空間にいると。
 理屈ではない。感覚で察知できるのだ。思えば、それが莉彩と自分が数奇な縁で結ばれている証だといえるのかもしれない。
「国王(チユサン)殿下(チヨナー)。こちらにいらっしゃったのでございますか。少々お話したいことがございますが、お時間を頂いてもよろしいでしょうか」
 徳宗の乳母であった臨尚宮とも親しく、比較的穏やかな人柄の崔尚宮に徳宗は信頼を寄せている。上宮の尚宮であることを鼻に掛け権高にふるまう劉尚宮や孔尚宮よりはよほど好感が持てる。
 控えめに言上する崔尚宮に対して、徳宗は鷹揚に応えた。
「ああ、構わぬ。話してみよ」
 崔尚宮は、少し先の大殿内官や劉尚宮をチラリと見やった。
「心配なかろう、これだけ離れていれば、話は届かぬはずだ」
 徳宗が事もなげに言うと、崔尚宮は頭を下げた。
「畏れ入りましてございます」
 崔尚宮は恐縮した様子を見せ、慎重に話を切り出した。
「この秘密は私が墓の中にゆくまで一生涯胸に秘めておこうと思っていたのでございますが、殿下が長らくお悩みのご様子でしたので」
 更に崔尚宮が話したのは、まさに徳宗にとっては天地が引っ繰り返るほどの愕きであった。あろうことか、彼女は莉彩が六年前の失跡当時、身籠もっていたと告げたのである。