母と歩けば
むっとするような草いきれと、飛び交う虫の羽音やティーカップがソーサーに当たってかちゃかちゃ鳴る音、それに小さな笑いの混じったおだやかな話し声。陽射しは強烈でも乾いた風が肌の熱をさらっていってくれる。
ケンブリッジに滞在した夏の間、友人らとともに何度となくこの村を訪れた。こんな贅沢な時を過ごせる幸福を感じずにはいられなかった。まだ薬を服み続けている母のことを思い出し、自分ばかりがいい思いをしている後ろめたさを、ミルクをたっぷり入れたお茶で無理やり胃に流し込んでいる気がすることもあった。
母もここで余計なことなど考えず、好きなようにお茶を飲めたらどんなにかいいだろう。それだけで薬などいらない本来の母に戻ることができるかもしれない──。そんな願望が、いつもぼくの心のどこかには確かにあったのだ。
リンゴの花が咲く前のティーガーデンは、訪れる人に永遠を信じさせるに十分なほどの夏の輝きこそまだ放ってはいなかったが、それでも薄日が射す戸外でデッキチェアに身を預け、サンドイッチやスコーンを食べながらお茶を飲む楽しさを、母にも体験させてあげることはできた。この国に来てから一度も雨に降られていないのは、母が晴れ女だということか。それは新たな発見でもあった。
時期的に町にはまだ留学生が少ないのだろう、周囲は地元の人と思しきお客さんしか見当たらなかった。両親とおばあちゃんらしき人と来ていた小さな男の子は、ぼくと母の近くまでやってきて不思議そうな目を向けてきた。この人たちエイリアンかも、と疑っているのかもしれない。
「ぼく、いくつ? かわいいね」
母が意外にも男の子に話しかけた。彼が理解できるはずの言葉に直したら、きゃははと無邪気な笑い声を上げながら大人たちのもとへ走って逃げていった。なにやら報告している様子。
母親らしき女性が男の子に何かを促すようにしゃべると、彼はこちらを向いて照れ笑いを浮かべながら右手の指を三本立ててみせた。大人たちは一様に微笑んでいる。
「あの子、三歳ってことかね」
「うん。サンキューって言ってあげたら?」
「あんた言ってよ」
英語を口にするのはとにかく恥ずかしいらしい。
ぼくが手を上げてサンキューと言うと、彼はまたきゃはっと笑い、身をよじるようにして母親の胸に顔をうずめてしまった。おばあちゃんが一言何か発すると、両親とも声をたてて笑った。
「あのくらいがかわいくていいね。子供なんて大きくなっちゃうと、つまんないね」
母はいつものように目をしばたたき、小刻みに頷きながらひとり言のように言った。これは、本音ととるべきなのだろうか。
「こんないい所に連れてきてあげてるのに、よく言うね」
人生で初めてともいえる今回のような親孝行に、二回目、三回目があるとは自分でも思えなかったが、だからといって今目の前で大きくなった子供の存在を嘆かれても困る。
「そうだ、そうだ。ほんとだよねえ」
母は急にとりつくろうように、「ありがたいことです。ね、あんたには感謝してます」と言って手をすり合わせた。
あっさり前言撤回。昔のしつこい性格はどこに捨ててしまったのか。
「さっきの子が笑ってるよ。その恰好がハエに見えるんじゃないの」
母は男の子のほうを見やり目をつむると、なぜかそっちに向かって手をすり合わせた。
「かわいいね。ほんと、子供はかわいいねえ」
母のまぶたの裏には、若かった頃の自分と幼かったぼくや兄の姿が浮かんでいたのかもしれない。
退院して家に戻ってからの母は、なんだか元気がなかった。食事をつくったり、買い物に行ったり、洗濯、掃除など家事はこなしてはいたものの、以前のようにてきぱきと手際よくという感じでは決してなかった。日中でも疲れて横になってしまうことがあるらしかった。テレビや新聞にもあまり興味を示さず、友人と出かけることはもちろん、近所の人と雑談するような気力さえない様子だった。ぼくや父とも必要以上に会話することもなく、いつもどこかぼんやりとしている印象がぬぐえなかった。
果たして本当に退院してよかったのかどうか。薬は服用を続けているとはいえ、本来の快活な母に戻るまで回復するのかどうか、ぼくにはさっぱりわからない状態だった。医者にしたところで、やはり断定的なことは言えないのが正直なところだったのでないかと思う。
平日はぼくも父も仕事に追われ、家事は再び母に任せきりになったが、休日はなるべく代わりをして、母を休ませるように努めた。翌年、また桜の季節がやってきた頃には、ようやく表情も明るくなり、友人に会いに出かけることもできるようになった。世の中への関心も戻ってきて、ニュースを見たりテレビドラマを楽しみにしたりなど、快方への変化もはっきりと現れていた。
その後もずっと通院は続いているし、気分にも波があって、頭痛がするとか、眠れないとか、何もする気がしないとか、こっちを不安にさせるような訴えも時々するものの、日常生活を送ることに特に問題が生じるようなことはない。ぼくがイングランドの英語学校に通っている間も、大きな変化はなかったようだ。
退院してから月日が過ぎていくうち、「発作」を起こす前の母と、その後の母と、どちらが本来の母の姿なのか、判断がつかなくなっていったのも事実だ。ただ、薬を服んでいる限りは、やはりどこか偽物の、つくられた部分のある母を見ているようなもどかしさが消えないのだった。
ケンブリッジは町を流れるカム川に沿って大学の古い建物がいくつも並び、その対岸は広大な芝生に古木が生い茂る緑地になっている。初めて訪れたとき、自分が生まれ育った日本の町とは全く異質の美しさをもったケンブリッジを、ぼくはすぐに気に入ってしまった。何世紀も前につくられた建物や庭が朽ち果てることなく、整然と秩序を保って存在し続けている様にただただ感心した。
日本のように激しく流れ続ける川ではなく、一本の帯となって水を湛えているおとなしいカム川が、悠々たる時の流れを象徴しているかに見えた。
ぼくは休息も兼ねてキングズチャペルに母を連れていった。絵はがきにも必ず登場する、あまりにも有名で歴史のあるチャペルの空気を、母にも味わってもらいたいと日本を発つ前から思っていたのだ。
入場料を払って、分厚い木の扉の向こうへ足を踏み入れる。
「なんだろ、すごいね。きれいだねえ」
母は、壁面いっぱいに並ぶステンドグラスから注ぐ色鮮やかな光に、まず目を奪われたようだ。
二十メートル以上もある異様に高い天井には扇型の精緻な細工が施されており、その連なりが実に美しい。昔の職人たちの技を見せつけられる思いで、何度見ても、やはりため息がこぼれてしまう。
「ずいぶん古そうだね」
「四百年くらいたってるんじゃない? その間延々ずっと、ここで勉強してる学生たちが祈りを捧げてきたってわけ」
「へえ、四百年?」
「すごいでしょ」
すっかり感心しているかに見えた母は意外にも首をひねり、「じゃあ、滝川の家みたいなもんだね」と、まったく予想だにしていなかったことを口にした。
「滝川の家?」
「あそこだって四百年以上たってるんだよ。ここは祈るだけでしょ。お母さんはあそこで生まれて育ったんだからねえ」