母と歩けば
「何それ。さっきと言ってること違うじゃん」
母は少しの間、戸惑うような表情で窓の外を見やっていたが、やがて「そうだよね」とつぶやいた。
「さとちゃんも、よく裏返しで着てたっけ」
ぼくはさとちゃんの登場にどきりとする。母も同じことを思い出していたのか。
さとちゃんって、入院してたときの……と言おうとしたが、母はまた目を閉じて、バスの揺れを楽しむかのように首を小刻みに動かし始めた。
「ちょうど満開だな」
汗ばむくらいの陽射しに目を細めた父が弾んだ声で言った。
病院の駐車場から街道へ下る坂道が大きなカーブを描いて延びている。その両側の土手に続く桜が華やかな二本の帯となって、陽に輝いている。
「いい天気でよかったなあ」
父は上機嫌だったが、母の返事はなかった。
外の光がまぶしすぎるのか、眉間にしわを寄せ、うつむき加減にとぼとぼと歩いている。
「ほらあ、お母さん、見てみろよ桜。せっかくうちに帰るんだから、そんな恐い顔すんなよ」
母は立ち止まり、顔を上げた。
「ほんとにうちに帰るんだよね。もう、ここには来なくていいんでしょ?」
子供のような舌足らずな早口で言う。
「通院はするんだよ。薬は服まなきゃいけないって先生が言ってたろ」
「薬? まだ服むの? もういいよ。服みたくない」
きっぱり拒絶するようなきつい目つきで、母は父のことを一瞥した。
「だから、そんなおっかない顔すんなって。せっかくいい景色なんだし、もっとニコニコしろよ」
ぼくが車の後部座席のドアを開けると、母は黙ったまま乗り込んだ。
父が助手席に、ぼくが運転席に入る。
「あんたが運転すんの? なんで?」
母は太陽の光が届かなくなっても眉をひそめたままで、その表情は不安そうにも、不機嫌そうにも、どこか苦しそうにも見えた。
「ショウのほうが安全運転でいいだろ? 俺が運転すると、発進が急だとかブレーキがスムーズじゃないとか、いちいち文句言うからな」
「ほんとのことだから、しょうがないじゃん」
「はいはい。奥様の言うとおりです」
父はぼくに向かって舌をちょろっと出して見せた。
ついスピードが出そうになる坂道を、ゆっくりと下っていく。
桜の花びらが見送ってくれるように、風に乗って静かに舞い下りてくる。窓から流れ込む風があたたかかった。
バックミラーに映った母は上半身をねじるようにして後方を見やっている。まさか名残惜しいわけではあるまいが、二か月ほどを過ごした病院の建物を外から確かめることで、自分なりに気持ちに区切りをつけようとしているのかもしれなかった。
坂道が終わり、車を右折させ街道に入って間もなく、母はまぶたを下ろした。病院を出るときから、やっと家に帰れるという喜びの感情をあまり見せていないことが、少し気がかりだった。目を閉じてしまったことは外界との接触を避けているようにも見える。
退院したとはいえ、目の前にいる母は、やはりどこか本来の母とは異なった別人であるような気がした。
いつまた妙なことを言い出すのではないか、突然暴れだすのではないか。
ついつい母ではない誰か、信じきれない誰かを観察するような目つきになっていることに気づき、嫌気がさした。
医師は、通院して薬を続けていれば、再び「発作」を起こすようなことはないだろうと言ったが、原因が定まらないのに何を根拠にしているのか、よくわからない話だった。
街道沿いにはコンビニや飲食店、中古車の販売店などが並び、春ののどかな陽があまねく降り注がれている。アスファルトには陽炎が立ち、道路の端を陽光を銀色に跳ね返した自転車が連なって進んでいく。この間まで殺風景だった所にも桜の鮮やかな色が広がっていて、なんだか感心させられてしまう。
途中、見舞いのときにいつも立ち寄ったラーメン屋を通った。
「ビール飲んでいきてえけど、無理だな」
母が眠っているのを見て、父は小声で言った。舌なめずりをして店の看板を見送っている姿がおかしかった。
もうすぐ家に着くという辺りで、ようやく母は目を覚ました。とろんとした力のない目で窓の外を不思議そうに眺めている。
「お目覚めですか。きょうは退院祝いに寿司でもとりますか」
父は母をふり返り優しい声で言った。母はそれには返事をせず、「コロちゃん元気?」と言った。
「おばちゃんの帰りを待ってるよ。おばちゃんの膝がいいんだって」
「あいつは俺の膝になんかこねえよ。ちゃんと刺身だって分けてやってんのによ」
母はやっとわずかに頬を緩め、笑みらしいものを見せた。
「そうか、コロちゃん待ってるかあ」
そうつぶやいて、また目をつむった。
列車は徐々に速度を落とし、ケンブリッジ駅に静かに停車した。平日の昼前とあって、田舎町の小さな駅は閑散としている。
ケンブリッジは四年前、ぼくが初めて海外に出て半年ほどを過ごした思い出深い町であり、その郊外に母をぜひ連れていきたい場所があった。歩くとだいぶ時間がかかるので駅からタクシーに乗ろうかとも思ったが、それでは緑豊かな景色を十分に楽しむことができない。遠くても歩けるから大丈夫だと、母は自信たっぷりに言うので、結局徒歩で向かうことにした。
ヴィクトリア朝風の趣きのある家が並ぶ住宅地を抜けると、いきなり視界が開け、草地が一面に広がる田舎道を進んでいくことになる。やがて細いカム川に沿って続く小道に入り、鳥のさえずりと風のささやきだけを耳にしながら、のんびりと歩いていく。川はほとんど流れがなく、水面は鏡のように周りの景色を映し込んだままだ。
雲の切れ間から青い空がのぞき太陽も顔を出してはいるものの、風は冷たい。それでも歩き続けているので体があたたまり、寒さは感じなかった。
「牛がいるよ」
母はあきれたように笑った。「こんなとこに来ちゃって大丈夫なの? お茶飲めるとこなんてほんとにあんの?」
「それが、あるんですよ。牛の糞には気をつけなされ」
「ちょっと、何それ。タクシーで来ればよかったかねえ」
「糞を踏んだところで死にゃあしない」
「いい靴履いてこなくてよかったよ」
母の踵の低いパンプスはかなりくたびれているように見えた。あちこち歩き回ることになるだろうから履きなれたもののほうがいいと、日本を発つ前にぼくがアドバイスしたからだ。
牛たちが草をはんだり寝そべったりしているほかは、犬を連れた人とたまにすれ違うだけ。日本の感覚からすると、とんでもなく辺鄙な場所に足を踏み入れてしまったような気がするが、この辺りでは住宅地の少し先に当たり前に広がっている景色にすぎない。
そんな田舎道を四十分以上歩き、ようやく目的地のティーガーデンにたどり着いた。百年以上もの昔、ケンブリッジ大学の学生たちが町の喧騒を逃れ、この果樹園でお茶を片手に休息したのが始まりという。異国でこの村の輝きに思いを馳せながら戦死した詩人もその一人だった。
一杯のお茶を夢見て死んでいくという、なんともこの国の人らしい最期だと、ある種の偏見を自覚しつつ彼の詩に感銘を受けた。夏の光に満ちたのどかな果樹園は、遠く日本に生まれ育った自分が死ぬ間際、永遠の安らぎを求めて思い浮かべたとしても少しも不思議ではないほどの別天地に思えた。