母と歩けば
どんなに不恰好でも、どんなに幼稚くさくても、それはまぎれもなく母がつくったどこにもないオリジナルな作品に違いなかった。
列車は軽やかな車輪の音を響かせて北へ向かっていた。薄い雲の広がった空の下、やわらかい緑に覆われた起伏のある丘が延々と続いている。煉瓦を積んだ家々の屋根の向こうに教会の小さな四角い頭や尖塔がのぞく集落が時折現れるが、丘のうねりにのみ込まれるようにしてすぐに見えなくなってしまう。
隣の席で、うなだれた母は軽い寝息をたてて眠っている。この国の「名物」である田園風景を見ずして帰国したら、きっと後悔するに違いないと思い、目を覚ますたびに「景色がきれいだよ」と促すのだが、うんうんと頷きながらすぐにまた目を閉じてしまう。
ロンドンに降り立ってから四日目。疲れがたまっているせいもあるのかもしれないが、初日にグリニッジへ行ったときから、船の中でも列車の中でも居眠りをしていた。薬のせいでもあるのだろうと思い、無理に起こすようなことはやめた。
今回の旅は母からの申し出によるものとはいえ、もともとこの国に対する具体的な興味が母にあったとは思えない。どこに行きたいとか何を見たいとか、そういった話はいっさいなかった。ただ、ぼくが二度にわたって過ごした国がどんなところか見てみたいという漠然としたものではあっても、母にしてはかなり明確な好奇心が生まれたことが何よりもうれしかった。
退院した後も、ずいぶん長い間、何事にも無感動、無関心になってしまった母が、ようやく自分の気持ちを外界に向けることができるようになった現れとして、ぼくはその変化を逃さず、思いを確実に大きくふくらませてやりたいと思った。だから、日本とは違うものをできるだけたくさん見せてあげようという気負いもあったのだが、息子に連れられて生まれて初めて飛行機に乗ってロンドンまでやってきた、ただそれだけで、母にとっての一つの冒険はもう終わっているのかもしれないという気もした。
「あぶない、ちょっと待って」
ふいに母が顔を上げ、とろんとした目で周囲を見回した。くちびるの端から垂れるよだれをあわててすする。
「今お母さん、何か言った?」
「あぶない、ちょっと待ってとか言ったよ。昼間っから寝言?」
「ああ、びっくりした。夢か」
ハンカチで口元をぬぐいながら、母は笑みをもらした。
「またバスに乗り遅れるとこだったんだよ。あんたが先に乗っちゃってさあ」
「なんだ、きのうのことか」
アリソン家に下宿していたとき、ぼくは英語学校をやめたあとプライベートレッスンを受けていた。その先生だったパキスタン出身のニシと、彼女と同棲していたイングランド人のウィリアムの二人と連絡がとれたため、昨晩は夕食を共にした。アリソンと会ったあとだったし、母には負担になることが気にかかったが、あんたの先生だったら会ってみたいと言うので連れていくことにした。
その待ち合わせ場所であるジャパンセンターに向かう途中のこと。後部に扉がなくそのまま乗り降りができるダブルデッカーが渋滞で停まっていたので、せっかちなぼくは母の腕を引っ張りながら走り寄り、あわてて飛び乗った。と思いきや、母は両足をデッキに乗せる前にバスが動き出したのでびっくり。「きゃっ」と悲鳴を上げた。
座席にかけると、向かいに座っていた品の良さそうな白髪の老婦人が非難するような目でこちらを見ているのに気がついた。頬が紅潮している。
「バスにはちゃんとバス停から乗りなさい。そんなこともわからないのかしら」
子供を叱りつけるようなきつい口調だった。経験上、アジア人に対する侮蔑が含まれているような気もした。
「あのおばあさん、こっち見てるよ。なんて言ったの?」
老婦人の言ったことを母に伝えると、
「そうよ、なんで道路から乗ったりすんのよ。ケガするとこだったじゃん」
と言って、短い両足を交互に伸ばして無事を確かめた。
「どこからでも自由に乗り降りできるのがこのバスの醍醐味なの。あの人は年をとりすぎてそれができないから、ひがんでるんだ」
「そんなこと言って聞こえるよ」
「日本語がわかれば大したもんだ」
「そっか、何言ってるかわかんないのか」
母はふふっと小さく笑った。
「あのおばあさんのカーディガン、裏表反対だね」
ちょっとうれしそうに言う。
「ほんとだ。大英帝国の生き残りも恐るるに足りないな」
「ダイエー? ロンドンにもあるの?」
母の質問は至ってまじめだ。
「カーディガンには裏と表があります。そんなこともわからないのって言ってやれば?」
「やだよ。変なこと言わないでよ」
母は困ったときによくやるように、目をせわしなくしばたたいた。「あの人わざとじゃないの? ああいう着方がはやってるのかもよ」
それはないと思うけどね、と言おうとして、ふとある光景が頭によみがえった。
色白の小柄な女性が口の端につばの泡をいっぱいためてしゃべっている。視線はどこか宙をさまようようで弱々しい。彼女は目の覚めるような明るいピンクのカーディガンを羽織っているが、裏と表が反対で、ほつれた縫い糸があちこちからだらしなく垂れ下がっている。
それが誰だかはすぐにわかった。病院でなぜか母のことを「お姉さん」と呼んで慕っていた、さとちゃんと呼ばれていた女性だ。
彼女の話す内容はたいてい支離滅裂でつかみどころがなかったが、ときどき社会的な事件や政治的な話題を口にし、こちらが焦ってしまうような鋭い批判や意見を述べることがあった。
あのときぼくは、彼女が「頭のおかしい人」で、自分が「まともな人」であるという線引きが、安易に成り立つものではないと感じていた。彼女の一見力のないあやふやな視線は、実は社会で物事の本質を見つめてきた末に、何かしら自己防衛をする必要に追い込まれた結果としてああなったのではないかとさえ思えた。
こちら側とあちら側。病院の外側とその内側。自由に行動できる者と閉じ込められてしまった者。見舞う者と見舞われる者。
それでも、自分の彼女を見る目が、かわいそうな人という一種の憐みを帯びていなかったとは言い切れないのは確かだ。この人のように何年も病院にいるようなひどい事態になる前に、母をここから救い出さなくてはいけない。そうした心の動きを彼女や他の入院患者たちは鋭敏に感じとっているのかもしれなかった。そう思うと、彼女たちの瞳のほうがむしろ澄んだものに感じられてくるのだった。
自分と相手との間に一方的な思いで線を引くことがいかに乱暴で愚かなことであるかを実感として本当に理解できたのは、二度にわたるイングランドでの生活のおかげだ。アジア人であること、肌が黄色いこと、英語がへたなこと、ただそういった理由だけで差別される屈辱をぼくは生まれて初めて味わった。
前に腰かけている老婆の蔑みの色を浮かべた目。かつてぼくもさとちゃんたち入院患者を見るとき、似たような目をしていたのかもしれないと思うと、今さらながら申し訳なさに胸が痛んだ。
「ねえ、どうなの? ここではああやって着るんじゃないの?」
ぼくが黙って返事をしないでいるので、母は急にいらだった口調で言った。
「裏でも表でもいいんじゃない? 人それぞれで」