母と歩けば
「手紙? ああ、はいはい。じゃ、取りにいきましょ」
二人は「さとちゃん」の病室があるらしい廊下の奥のほうへ歩いていった。
「もう頭は痛くないの?」
ぼくが訊くと、母はなぜか迷惑そうに眉間にしわを寄せた。
「痛いときもあるよ」
「卓球すごいじゃん。そんなに強かったっけ」
「加藤さんって人がいてね、すごく強いんだよ。今いないかな? 向こうのね、広い病室にいる人なんだけど知らない? 強い球バンバン打ってきてね、なかなか取れないんだよ。何回かやったけど、一回も勝てなかった」
子供が学校であった出来事を嬉々として報告するように、なめらかな口調だ。
「焼き物もつくったって?」
父が椅子に腰を下ろしながら訊く。
「そう、みんなでやったよ。あれ、おもしろいね。土をこねてさあ」
「退屈しなくていいな」
「でも早くうちに帰りたいよ。ねえ、いつまでいなくちゃいけないの? 先生に訊いてきてよ」
また急に顔つきが変わった。睨めつけるように目に鋭い光が宿る。目の下のくまは消えていない。
「外泊をもう一、二回やらないと退院できないって、さっき言われたよ」
「外泊? 帰ってまた戻ってくるんでしょ? なんで自分のうちに行って、またここに戻ってこなくちゃいけないのかって、それがおかしいって言ってんの」
さとちゃんと話していたときの楽しげな様子から一変して、怒りを露わにし始めた。
「先生の言うとおりにしなきゃだめだ。せっかく卓球だって焼き物だってできるようになったんだからよ」
「さとちゃんだって何回も外泊してるんだって。それでもまだだ、まだだって言われて、もう一年以上ここにいるんだって。先生がへんな薬服ませてるんじゃないの? ここから出したくないんだよ。おかしいでしょ」
ぼくは父と顔を見合わせた。一見、母の言動はまともになったように感じられるが、本来の母に戻ったとはまだ言えなさそうだった。
一週間前、先生の許可を得て、一晩だけ母を自宅に連れ帰って様子を見た。あれだけかわいがっていた猫のコロ助に再会したというのに、ほとんど何も反応を示さなかった。ただコタツにあたってじっとしているだけ。話しかけても弱々しく相槌を打つくらいで、きちんとした返事が返ってくることはない。そこにいるのは母の姿をした別の生き物のようで、正直不気味であった。
突然コタツを抜け出したかと思うと、廊下で足踏みをしながら両腕を激しく上げたり下げたりし始めたときも驚いた。じっとしていると落ち着かないと言って、しばらく妙な体操のような動きを続けていた。
夜は薬が効いているのか父の横で眠っていたようだが、朝の表情は能面のようで、とても健康な人のそれではなかった。
「こっちのほうが広くていいだろ?」
父は周囲を見回しながら明るい声で言った。
「向こうの病棟にいた、おっかない顔したおばさんがいないからいいよ」
「おっかないおばさん? おまえだってこの間まで恐い顔してたくせに」
「何言ってんのよ。私はふつうだよ。どこが恐いの」
「ほら、そう言ってるその顔が恐い。なあ」
父は同意を求めるようにぼくの脇腹を小突いた。
「ミチオだって、人のことをとやかく言えるような顔じゃない」
ぼくが笑いながら父を指弾すると、
「ショウはよくわかってる。あんたは昔っから何にもわかっちゃいないんだよ」
と言って、母はにやにやしている父を睨みつけた。
「昔っからときたもんだ。こっちは今朝何食ったかも覚えてないんだ。昔のことなんかわかるわけがねえ」
いつもなら、さらに応酬が続くはずだったが、母は厳しい表情のまま口をつぐんだ。
父は自分の言葉を持て余し、うつむいた。
「ねえ、焼き物どれか教えてよ」
ぼくは強引に話題を転換した。
「いいよ、あんなの見なくて」
「なんで? うまく焼けたんじゃないの?」
「洗濯もの取りにきたんだろう? 早く持ってって帰んなよ」
母はさっさと病室のほうへ歩き出した。
父とぼくは後を追い、持ってきた着替えと洗濯ものを交換した。
ベッドが四つ並んだ部屋はすりガラスの窓越しに西陽がさしこみ明るかった。閉鎖病棟の部屋とは違い、飾り格子がついていない。二つのベッドには、それぞれ年配と思われる女性が入り口に背を向けるようにして横たわっていた。
母も同じように毛布をかぶって目をつむってしまったので、仕方なく帰ることにした。
廊下を歩きながらほかの病室をのぞくと、畳の上で数人の老女がごろんと転がって寝ている部屋があった。その恰好はなぜだかアザラシの姿を連想させた。ひょっとして、あの老人たちは見舞いにくる家族もなく、ただああやってこの病院で老いて死んでいくのを待っているだけなのではないだろうか。
急に背筋が寒くなった。
もし母もあんなふうになってしまったら……。よその部屋など見なければよかったと悔いた。
「あった。これだろ」
先を歩いていた父が声を上げた。
入り口に向かう階段の手前に置かれた長机に、さまざまな形、色をした焼き物が並んでいた。その中で父がじっと見つめているのは、ひらべったい青い物体だった。白い紙に母の名前があり、ひらがなで「さかな」と記されている。母の字に違いなかったが、いつもの達筆さはなく、わずかな震えが見てとれた。
「さかなだって。よく見なきゃなんだかわかんねえなあ」
父が笑った。
それはお世辞にもうまいとは言えなかった。何の魚を思い浮かべたのかわからないが、やけに丸く太った形はおよそ魚らしくなかったし、口やヒレ、尾などもはっきりつくられていない。ヘラか何かで跡をつけた鱗も線の太さや長さが粗雑で、丹念さや器用さといったものは感じとれなかった。
魚ではなく、さかな。母はその出来栄えを恥じて、わざとひらがなで書き記したのだろうか。
看護婦の話しぶりから期待を抱いてしまっただけに、少しがっかりした。
ほかの焼き物に目を転じると、丼や皿など実用的なものに交じって、母のように生き物や花などを模った置物風のものもあった。母のさかなは、もしかしたら、魚をのせる皿のつもりだったのかもしれない。
「これなんか、うまいもんだなあ」
何度も経験しているのか、なかには感心して見入ってしまうような素晴らしい出来の作品もあり、父は感嘆していた。
母は焼き物などつくったことがあったのだろうか。ぼくの世代は小学校でも中学校でもつくった記憶がある。しかし、農繁期には学校を休んで家の仕事を手伝っていたという母の遠い学校時代、そんな時間は果たしてあったのだろうか。
生まれて初めて挑戦した焼き物。何をつくろうか思案しながら一生懸命土をこね、魚にすることを決めて形を整え、想像力を働かせながらヘラで模様を描き、色を塗っている母。
そうしてやっと出来上がった、さかな。幼い子供がつくったような稚拙なさかな。
こんなはずじゃなかった。もっとうまくできるはずだった。母はそう思ったのだろうか。あるいは、思ったよりうまくいった。もっとたくさんつくってみたい。そう思ったのだろうか。
ぼくはもう一度、さかなを見つめ、白い紙に書かれた母の名前を確かめた。