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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅠLove is forever

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 この時代から遠く隔たった現代にいても、何もかもが莉彩にとっては、徳宗に繋がるものだった。離れている徳宗のことを思い出すだけで逢いたくて涙が溢れたけれど、その分、幸せな気持ちにもなれた。
 なのに、今はどうだろう。徳宗のすぐ傍にいて、夜毎、その腕に抱かれているというのに、莉彩にとって彼はかえって遠い人になった。こんなに近くにいるのに、心は現代と朝鮮王国時代よりも遠く離れ、二人の間には埋められぬ溝ができてしまっている。
 すべてを招いたのは自分だと判ってはいるけれど、やはり哀しくてやり切れない。
 莉彩は立ち上がると、部屋の片隅にある文机の引き出しを開け、手紙を取り出した。

―いつか申し上げたように、強い縁で結びついた者同士というものは、いかにしても引き離すことはできぬのです。
 お嬢さまにとって何が真に大切なことなのか、ご自分の進むべき道を今一度、とくとお考えになられてはいかが?
 お嬢さまが再び儂の前へ現れたのも、これも一つの必然にございましょう。
 天のお与えになった縁を是非とも大切にあそばされますように。

 もう幾度読み返したか知れぬ、あの不思議な老人からの文だ。
 自分にとって真に大切なこと、自分の進むべき道とは一体、何なのだろう。四年前、莉彩は徳宗のゆく手を阻む存在になりたくはないと考え、現代に還る覚悟を決めた。そして、今回もまた不可思議な縁(えにし)によって引き寄せられ、幾つもの時代を超え、この時代に辿り着いたのだ。
 恐らく、老人の言うことは正しいのだろう。幾ら引き離されたとしても、莉彩と徳宗はまた出逢うように運命づけられているのだ。
 老人がそのための重要な役割を果たしていることは判っている。徳宗と自分を結びつける縁の糸は、天が与え給うたもの。天が定めた縁を断ち切ることは誰にも、たとえ当人同士によってもできない。
 何より莉彩の心は、こんなにも徳宗を求めている。これほど酷い仕打ちを受けながらも、なお、あの男を求めてやまない。恋しい気持ちを棄てきれない。
 いっそのこと聖泰が徳宗の子だと告げれば、徳宗はすぐに誤解を解き、莉彩に昔のように優しい笑みを見せてくれるだろう。だが、それは莉彩の望むことではない。自分の身の安寧のために、徳宗やその未来を台無しにしようとは思わない。たとえ誤解されたままでも、徳宗には後世まで語り継がれる聖君としての道をまっとうして欲しい。
 莉彩は老人の手紙を胸に抱き、すすり泣いた。どうしても切れない縁の糸ならば、この生命を絶てば、断つことはできるのだろうか。でも、莉彩が死ねば、聖泰はたった一人、この時代に残されてしまう。我が子をこの時代に置いて、生命を棄てることはできない。
 莉彩の心は千々に乱れ、揺れる。
 そのときだった。
「お母さん(オモニ)、どうしたの?」
 部屋の扉が勢いよく開き、聖泰が飛び込んできた。
 莉彩は慌てて人さし指で涙をぬぐう。
 聖泰が愕いたように眼をまたたかせた。
「お母さん、泣いてるの?」
「ううん、何でもないのよ」
 莉彩が首を振って微笑むと、聖泰は、むうと可愛らしい口を膨らませた。
「お母さんは、ここに来てから、泣いてばかりいるよ。どうして?」
 幼い彼がタイムトリップをどのように受け止めているのかは判らない。莉彩は聖泰に、理由があって、しばらくここ―これまで住んでいた町からは遠く離れた土地に住むことになるのだとだけ話している。
 聖泰は彼なりに納得したようだ。わずか三歳の幼児がこの状況を完全に理解できるかどうかといえば、難しいだろう。いや、第一、莉彩すら最初この時代に飛んだときは、自分の気が違ったのかと思ったのだから。
 だが、聖泰は聡明な子である。三歳なりの理解力で今、自分の置かれた立場を理解し、状況を受け容れているようだ。淑妍の言葉どおり、子どもの適応力、順応力は愕くべきものがある。多分、莉彩が心配するより幼い息子はこの時代の暮らしに馴染んでいっている。
「別に泣いてなんかいないから、心配しないで」
 莉彩が精一杯の微笑みを浮かべると、聖泰は頬を膨らませたまま、ヌッと顔を近付ける。
「お母さん、嘘ばっかり言ってる」
 莉彩は笑って、息子の額と自分の額をコツンとくっつけた。
「嘘じゃないのよ。それよりも、聖泰は何をしてたの?」
「春陽と鬼ごっこしてたんだ。昼からは花房が絵を描いてくれるって約束したんだよ?」
 得意気に言う息子に、莉彩は笑って頷く。
「良かったわね。お姉ちゃんたちに一杯遊んで貰えて」
「でも、花房ったら、保育園の麻由美先生よりも怖いんだ。ボクが朝ご飯のおかずを手で掴んで食べたら、凄く怒るんだよ。そんなお行儀悪いことをしちゃいけませんって、こんな顔するんだ、メェって」
 聖泰は自分の小さな手で眼を引っ張って、つり上げて見せた。
 その表情に、莉彩は思わず笑い声を立てる。
 この子のお陰で、沈み込みそうな心がどれほど救われることか。
 聖泰のお気に入りの女官は専ら、守花房と金春陽だ。二人ともに自分の仕事で多忙にも拘わらず、聖泰のお守りというか遊び相手をよくしてくれる。聖泰はこの二人の〝お姉ちゃん〟にすっかり懐き慕っていた。
 と、扉の向こうから先触れの声が上がった。
「国王殿下のおなりにございます」
 ほどなく扉が開き、徳宗が入ってくる。
 莉彩は急いで立ち上がり、脇に寄って頭を下げる。徳宗は当然のように部屋を大股で横切り、上座に座った。
 莉彩は聖泰を傍に引き寄せ、小声で囁く。
「聖泰、国王殿下です。頭を下げなさい」
 だが、聖泰は頭を下げようとせず、上目遣いに徳宗を恨めしそうな眼で見上げた。
「聖泰」
 莉彩が窘める口調でなおも強く言うのに、徳宗は苦笑いを浮かべた。
「構わぬ」
 徳宗は鷹揚に言い、聖泰に向かって気軽に話しかけた。
「女官と遊ぶのは愉しいか?」
 しかし、聖泰は何も応えず、莉彩の手を乱暴に振りほどくと、ブイと部屋を出ていってしまった。
「聖泰、待ちなさい!」
 莉彩は叫んだが、時遅く、扉はパタンと音を立てて閉まった。
「申し訳(ハンゴン)ござい(ハオ)ません(ニダ)」
 莉彩は頭を垂れた。徳宗は普段、聖泰には寛容に接しているものの、聖泰を莉彩が密通した男の子だと信じているのだ。反抗的な態度を取り続ければ、いつ徳宗が腹立ちのあまり聖泰を罰さないとも限らない。
「気にする必要はない」
 徳宗は短く言うと、莉彩を改めて見つめる。
「香草茶が飲みたいのだが」
「は、はい」
 莉彩は傍らの小卓を引き寄せ、お茶を淹れる準備を始めた。その間、徳宗は所在なげに部屋の内を見回している。
 ふと床に置いてあったリラの簪に眼を止め、拾い上げた。
「この簪は、りらの花だな」
 徳宗は簪を手のひらで弄びながら、囁くような声で呟いた。
 香草茶は臨淑妍から教えられた徳宗の大好物である。淹れ方にもコツがあるのだが、以前、徳宗は莉彩の部屋を訪れては香草茶を飲むのを日課のようにしていた。
 今回、入宮してからは初めてのことである。大体、徳宗がこの部屋を訪れるのは深夜、莉彩を抱くのが目的のときだけに限られていた。このように昼間、訪れるのは異例のことだった。