小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

約束~リラの花の咲く頃に終章ⅠLove is forever

INDEX|7ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

 徳宗はこの瞬間まで、莉彩が今宵、素直に謝罪すれば、許してやるつもりでさえいたのだ。本来なら二十有余年前に伊淑儀に毒杯を呑むように命じたように、莉彩にも死を与えるべきだとは判っている。
 しかし、情けないことに、徳宗は莉彩を殺せなかった。未練な男、腑抜けと嘲笑われるだろうが、自分を裏切り間夫と乳繰り合った妻にまだこの期に及んで未練があったのだ。
 だが、莉彩は謝るどころか、姦夫の子どもの生命を助けよと徳宗に迫る。
 徳宗の脳裡に、あの子ども―莉彩の生んだ子の顔が浮かんだ。歳は三歳だと聞いたが、なかなか利発そうな面立ちの良い子だ。しかしながら、あの子は姦夫の種であり、裏切られた徳宗にとってみれば、妻が犯した許しがたい過ちの象徴でもある。
 莉彩はともかく、あんな子どもなぞ、さっさと殺してしまえば良い。幾度もそう思ったが、これもやはりできなかった。子どもに情があるわけでもないし、可愛いわけでもない。あの子どもを殺せば、莉彩がどれほど嘆き哀しむかは判っていたからだ。
 ここまで決定的に裏切られたというのに、徳宗はまだ莉彩に対して憐憫の情を感じていた。その事実が、徳宗自身を余計に苛だたせていた。
 徳宗は冷え切った声音で莉彩に問いかける。
「もう一度だけ、訊ねる。あの子の父親はどこの誰だ?」
 莉彩はかすかにかぶりを振る。
「存じ―ませぬ」
 もとより、王もここまで来て、莉彩が相手の男の名を白状するとは思っていない。
 しかし、蒼褪めるわけでもなく恐怖に震えるわけでもなく(少なくとも、徳宗にはそう見えた)、端座して自分を真正面から見つめてくる女を見ている中に、得体の知れない感情が胸の内で荒れ狂うのを感じていた。
 狼狽えもせず、あからさまに怯えを見せるわけでもなく、ひたすら凛然として死を求める女をこの時、心の底から憎いと思ったのだ。
 ここまで意地を張り続けるのなら、憐れみなど一切必要ない。こうなったら、暗い情動と妬心に突き動かされるままに、この女を蹂躙し、根こそぎ奪い尽くしてやれば良い。
 そして、この身の程知らずな女に対して、自分の良人が誰であるか改めてその身体にとことん刻みつけ思い知らせてやれば良いのだ。
 徳宗は何も言わず、莉彩をその場に押し倒した。上から覆い被さったまま、荒々しく夜着の合わせを開く、紐がなかなか解けなかったので、途中からは解こうとせずに引き裂いた。
 ビリッと絹の裂ける嫌な音が響き、莉彩はその音が自分の心の悲鳴に思えた。
 思わず両手を伸ばして拒もうとした莉彩の手を王が上から押さえつける。
「意地を張りたければ、張るが良い。口を割らせる方法は幾らでもある。そなたが従順になれぬというなら、その身体に直接問おう」
 酷薄な表情で淡々と言う王を、莉彩は涙ぐんで見上げた。これほどまでに憎しみを露わにした王を見るのは初めてだった。
 よもやこんな日が来ようとは、莉彩も徳宗ですら想像だにしたことはなかった。互いに強く惹かれ合い、求め合い続けた二人の恋の結末がこんなにも哀しいものだったとは。
 莉彩の固く閉じた眼から、ひとすじの涙が流れて落ちる。
 頑なに口を閉ざす莉彩に対して、徳宗は苛立ちをぶつけるように荒々しく幾度も抱き、深々と刺し貫いた。その夜の王の行為にはおよそ愛情の欠片もなく、ただ烈しい欲情をぶつけるだけだった。愛撫というよりは、レイプと呼べるほど、鬼気迫った表情で憑かれたように莉彩の身体を夜通し責め立て続けた。
 翌日、徳宗が莉彩の寝所を出たのは暁方のことだった。王が帰ってから、莉彩は一人、部屋を出て、殿舎の前に降りた。莉彩はこの度も四年前に賜った宮を引き続き与えられている。莉彩の寝所の隣が居間となり、扉を開けて階(きざはし)を降りれば、殿舎の前に出る。そこからは、幾つも並び立つ後宮の殿舎やはるか向こうには国王の住まう大殿(テージヨン)が見渡せた。
 臨尚宮の言葉どおり、この四年間、徳宗は定まった後宮を置くことはなかった。女官に夜伽をさせることもなく、ひたすら莉彩一人を想い続けて独り身を通していたのである。
 一人の妃もいないという後宮は淋しいもので、精彩にも欠けていた。漸くただ一人の国王の想い人が戻ってきたものの、その愛妾は大っぴらには言えないが、どうやら姦夫と通じて国王の烈しい怒りを買ってしまったようだ。
 莉彩は人気のない殿舎の前に佇み、そっと空を見上げた。淡い菫色の空に頼りなげな新月がぽっかりと掛かっている。まるで女人の繊細な爪のような月は、少し力を込めれば真っ二つに折れてしまいそうに儚い。
 東の空の端がわずかに白んでいるのは、そろそろ夜明けが近いからだろう。
「うっ、うっ」
 莉彩は声を押し殺して泣いた。
 涙が止まらなかった。たとえ王のためとはいえ、王の心をあそこまで追い込み、徹底的に傷つけたのはこの自分なのだ。どのような罰を受けようと酷い目に遭わされようと覚悟はできているつもりだけれど、愛する男にレイプ同然に抱かれるのは辛いことだった。
 自分が出した応えは、本当に正しかったのだろうか。徳宗のために、聖泰のためにしたことが彼等のためになったのだろうか。
 莉彩は涙をひっそりと流しながら、いつまでも生まれたばかりの細い月を眺めていた。

 人々は時ここに至り、王が何ゆえ、孫淑容を死罪に処さなかったのかを思い知ることになる。徳宗はその後も、夜毎、孫淑容の寝所に通い続けた。徳宗は莉彩を恥辱の限りを尽くすように抱き、閨で連日のように責め立てた。翌朝、昼近くなってから莉彩の寝所から出てくることさえ、珍しいことではなかった。
 徳宗は孫淑容を拘束し、容赦なく蹂躙するという形で〝罰した〟のである。
 大臣を初め主だった廷臣たちはあまりの徳宗の孫淑容への傾倒ぶりに眉を顰めたものの、特に政に支障を来しているわけでもなく、黙認の姿勢を取るしかなかった。
 そのようなことが続いたある朝のこと。
 莉彩は自室で脇息に寄りかかっていた。華やかな色合いの座椅子の背後には、紫の可憐な花をつけた枝と花に戯れかけるように飛ぶ蝶が描かれている。
 その花はリラであった。かつて王が愛妃のために絵師に特別に描かせたものである。もちろん、この時代にまだ朝鮮にはライラックは存在しないため、王が口述したり、莉彩が挿している例の簪を見せたりして描かせた想像上の花ということになっている。
 それほどの細やかな気遣いを示した王のあまりの変貌ぶりは、今や後宮はおろか宮殿中の噂となっている。その渦中にいるのは莉彩当人であった。
 莉彩は結い上げた艶やかな黒髪から、そっとリラの簪を抜き取る。格子窓から差し込む四月の陽光を受けて、アメジストがきらきらと輝きを放った。
 十四年前と十年前には、この時代に来たのは現代とほぼ同じ季節だったのに、今回だけはわずかなズレが生じている。二十一世紀の日本では二月だったのが、こちらでは既に四月になっていた。
 四月といえば、北海道ではリラの花が咲く頃だ。莉彩は十八歳から二十七歳までを過ごした彼(か)の地を懐かしく思い出した。あの男が見てみたいと言ったリラの花。リラの花の咲く場所だというだけの理由で選んだ進学先。