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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅠLove is forever

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 莉彩はゆっくりと時間をかけて香草茶を淹れ、ポットから湯呑みへとお茶を注ぐ。
 徳宗は莉彩の淹れた香草茶をゆっくりと飲んだ。ひと口めはゆっくりと、ふた口めからはいかにも美味そうに喉を鳴らして呑むのは変わらない。
 莉彩は懐かしさに涙が零れそうになった。
 こうして二人だけでゆっくりとした時間を過ごしていると、何もかもが昔のままのようだ。
 徳宗が簪を脇に置き、ふいに莉彩の方に手を伸ばしてきた。莉彩は咄嗟に身の危険を感じて、後方へと飛びすさった。
「私ったら―、申し訳ございませぬ。ご無礼をお許し下さいませ」
 莉彩はその場に手を付いた。
 無意識の中にしたことだった。毎夜、閨で徳宗から受けている酷い仕打ちが知らず莉彩を怯えさせ、警戒させているのだろう。
 徳宗の穏やかだった面がさっと蒼褪め、強ばる。その整った面に皮肉げな笑みが浮かんだ。
「莉彩はそんなに予が怖いか?」
「いいえ、そのようなことは」
 狼狽えて口ごもる莉彩に、徳宗は酷薄な表情で決めつけた。
「予が怖くないなら、何ゆえ、震えておる」
 莉彩はハッとした。自分では全く気付かなかったが、身体がわなわなと震えている。
「も、申し訳ございません」
 莉彩の大きな瞳には大粒の涙が溢れ、烈しい恐怖が浮かんでいた。
 徳宗はそんな莉彩をしばらく無言で見つめていたかと思うと、スと立った。
「大殿に戻る」
 ひと言乾いた声で言うと、莉彩の方を振り向こうともせずに部屋を出ていった。
 音もなく扉が閉まる。
 やはり、国王殿下は自分を許してはいないのだ―、莉彩は改めてその想いに駆られた。
 それはそうだろう。徳宗を裏切った莉彩を彼が許すはずがないのだ。怒って帰っていった徳宗は、また今夜も怒りのままに莉彩を抱くに違いない。気に入らぬことがあった日は、徳宗は常以上に容赦なくふるまう。
 また今夜も徳宗を寝所に迎え、折檻のような性交の相手をしなければならないのかと考えだけで、莉彩は恥ずかしさと怖ろしさに身体の震えはいっそう烈しくなる。
 徳宗が置いていったリラの簪を拾い上げ、莉彩は声を殺して忍び泣いた。

 その翌日の昼下がり。
 徳宗は宮殿内の敷地を歩いていた。国王の移動には常にあまたの伴回りの者たちが付き従う。大きな緋色の天蓋を掲げた者が静々と王の傍に控え、後ろから国王に仕える尚宮、内官、更には女官たちが恭しく付いてくる。
 徳宗は少し離れた前方に、幼い子どもが一人で遊んでいるのを見つけた。どうやら、莉彩の子―聖泰とかいったか―のようだ。しゃがみ込んで、石ころを使って一生懸命に何やら地面に書いている。
 徳宗は真っすぐに聖泰に近づいた。
「聖泰(ソンテ)」
 呼ぶと、子どもが弾かれたように顔を上げる。やがて視線の先に徳宗を認めると、子どもの顔が曇った。
「おいで」
 手招きしても、聖泰は警戒するように後ずさる。まるで、昨日、腕を伸ばした徳宗から逃れるように身を退いた莉彩にそっくりだ。
 徳宗は自分の方から聖泰に近づいた。
 聖泰は何も喋ろうとせず、立ち尽くしている。徳宗は手を伸ばして、子どもを抱き上げようとした。
 聖泰が後ろに後じさり、徳宗を睨み上げた。
「おじちゃんは悪いヤツだ。ボクのお母さんを苛めるな」
「こ、これっ。国王殿下に何を申すのだ、控えなさい」
 大殿内官が顔色を変えて聖泰を叱りつけた。だが、子どもは利かん気な眼で内官にあかんべえをして見せ、ついでに徳宗にも舌を出した。
「お母さんはいつも泣いてばかりいる。ボクと一緒に寝てって言っても寝てくれないし、朝、起きてくると、哀しそうに泣くんだ。おじちゃんがお母さんを苛めるから、お母さんは泣くんだよ」
「―」
 徳宗は幼子に返すべき言葉を持たなかった。子どもの言うことは、すべて真実だったからだ。
 聖泰は言うだけ言うと、そのまま踵を返して走り去った。
「国王殿下に対して、何と無礼なふるまいでしょう」
 大殿付きの尚宮、劉尚宮が眉を顰める。
「良いのだ」
 徳宗がゆるりと首を振る。
 傍らの内官もまた大仰な吐息をついた。
「全く神をも怖れぬ大それたふるまいにございます」
「殿下、あの子どもは孫淑容さまのお子にございましょう。一度、私が淑容さまに申し上げて参ります。本来なら、科人の淑容さまとその子どもがこうして後宮にいるだけでも畏れ多いのに、淑容さまは我が子の躾もろくになさっておられぬご様子」
 劉尚宮がぶつぶつと零していると、徳宗が鋭い声で問うた。
「劉尚宮。科人とは一体、誰のことだ?」
「は、はっ。それは―」
 劉尚宮が口ごもると、大殿内官が控えめに言上した。
「殿下、私ごときが殿下と淑容さまのご夫婦仲に口出しできるものではございませぬが、衷心より敢えて申し上げます」
「良い、申してみよ」
「淑容さまのお連れになったお子の出生について朝廷では大臣たちが日毎、かしましく噂し合っております。出宮されていた四年の間に、淑容さまはゆく方知れずとなられ、口にするのもはばかりながら、殿下以外の男と通じたと申す者があります。先ほどのお子は、淑容さまが姦夫と通じて生んだ子どもだと囁かれておりますのに、そのような子をこのまま宮殿にとどめておかれるのはどうかと案じらるのです。それでなくとも、大臣どもは殿下の隙を付こうと日頃から画策しておりますゆえ」
 劉尚宮が途中で内官の言葉を引き取った。
「殿下に心より忠誠をもってお仕えする者は皆、そのことを案じておるのでございます。殿下がとかくの噂のある淑容さまとその子どもに罰を与えられることもなく、後宮に引き止めておかれることがいずれ殿下の治世の曇りになるのではないかと」
「どうか、私どもの忠言をお心にお止め下さり、賢明なるご判断をなさって下さいますよう」
 内官が深々と頭を垂れた。
「少し一人になって考えたいことがある。そなたらは少し離れていよ」
 徳宗が命ずると、内官・尚宮たちは言われたように一定の距離を保って王から離れた。
 その時、徳宗はふと地面を見た。
 聖泰が無心に書いていたものが地面にはそっくりそのまま残っている。
 近づいて眼を凝らして見ると、たどたどしい字で書かれている字が眼に入った。男と女らしい人形の絵がそれぞれ一人ずつ描かれていて、その下に〝お父さん(アボジ)    〟、〝お母さん(オモニ)    〟とハングルで記されていた。
 その傍らには更に、小さな子どもの絵が添えられている。あの幼児が何を描きたかったかは徳宗にもすぐ察せられた。
 徳宗の胸を言いようのない感情が駆けめぐる。子どもに罪はないと判っている。たとえ莉彩が自分を裏切った結果の子どもだとしても、あの子に責任はない。確かに面白くはないが、それで、あの子どもの生命を取ろうとまでは思わない。