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紺碧塔物語

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 言いながら、ムイネイは大きくバックステップして距離を空けた。十メートル程の間隔を挟んで相対し、両手を脱力させて体の脇に垂らす。剣を大きく背後へと振りかぶった姿勢のソライロとはひどく対照的だった。
「……お母様は──かつて、敗北したのですね」
 独白する。嘲りではなく、確認の意思すら薄い。ソライロはただ自らに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「このアルガロード大陸における、闘争招来体。四つ首の連なる戦鬼──四修羅と戦って、一度完膚無きまでに敗北されたのですよね? それでもまだ戦うんですの? 勝ち目なんかないのに?」
「……ああ。勝ち目なんかないな──それでもだよ。それでも戦うんだ、ソライロ。それが私だ。命を賭け金に、分の悪い出目に全てを託して」
「それでも──それでも行くのですか? それでも戦うんですか!? 負けて死ぬかもしれないのに! 勝っても誰も喜ばないかもしれないのに!!」
「おまえは喜んでくれるべさ?」
 清爽──だった。
 澄み渡る微笑みが、水のようにソライロの心へと染み込んでいく。静かだが決して小さくはないその声に耳を傾け、彼女はさらに全身の筋肉を引き絞った。空気の変化は、即ち覚悟の変化だ。
 ムイネイは、覚悟を決めた。
 次に刃を交えるのが最後だと、その水のように透明な笑顔が伝えてくる。
「今から私がおまえに見せるものが、戦うことの意味だ。正義の代表権者たる大陸勇者を屠るため、閉ざした過去から引きずり出す──殺人剣技だ」
 殺人剣技。
 医者として──人の命を救う者として、ムイネイが固く自らに禁じてきた剣技。
「防げ。でなければ死ぬぞ」
「──!!」
「死にたくなければ、今すぐ帰って剣を捨てろ。おまえは剣なんか握らなくても生きていける。おまえは絵が描けるし──歌だって料理だってうまいよ」
「私には……」
「剣しかない、か? そんなわけあるか。おまえは今、たまたま剣を握ってるだけだ。他にもできることはたくさんある。私はそう願って、おまえにソライロって名前を付けたんだから」
 ソライロと──空色と名付けられ、そしてその名と共に生きてきた。
 剣を振るうしか能がないと、そう思っていた。
「おまえは何でもできる。どこにだって行ける。雨の日も晴れの日もあるだろうけれど、それでも空の色はいつでもそこに在る!」
 母親の叫びは、怒号の形を借りた祈りだった。
 それに応えるよう、ソライロは笑みの深度を増していく。
 剣を構える手に迷いはない。死角を探して歩くほどの余力はなかったし、もしあったとしても実行には移さなかっただろう。全力を振るうムイネイと相対しても、ただ勝てると信じていた。あるいは最強の剣士の一人であるだろう女性を相手に、傲慢かもしれないとは思ったが──それでも、ソライロの求めるものは勝利の先にしか残されていない。
 生まれてきて何度も敗北した。
 だが、今この瞬間だけは負けるわけにはいかない。
 今ここで勝利しなければ──積み重ねてきたものも、母親の祈りも、全てが風に散ってしまうから。

「私は──お母様を越えます! そして私が求める強さの地平に辿り着く! 誰も傷つけない、誰にも傷つけられない、そして誰にも傷つけさせない──あらゆる災いをこの切っ先において打ち払う、最強を越えた愚直の剣士を目指す! 私は諦めることをやめました──今ここから永遠に!」

「よく言った、誇るべき馬鹿娘! 悩みも迷いも稲妻のような速度で吹っ切ったか! 疾(と)く速く決断し疾く速く決行するのが馬鹿の信条、怒りから生まれる苛烈で叫べるなら叫べ! 私が最後の試験官だ──あらゆる強さを乗り越えて空色に輝く愚直の剣、無為なる音色を切り裂けるか見せてみろ!」

 互いに歌うのは、親愛の誓いだ。
 目指す強さの誓約。
 その内容を確かめる責を負う誓約。
 剣を振るうことによってしか生きていくことのできなかった人間が、あらゆる可能性を見て生きていく人間になる──そのための、誓約。
 刃を交える。枝葉が折り重なる森の中、闇を裂く銀閃を放ったのはムイネイだった。鋼線が走り、その先に括り付けられた短刃が四方八方から襲い来る。かわしたと思った刃は巧みに木々に絡みつき、角度を変えて再びソライロの体を狙った。それら全てをほんの少し身を捩るだけでかわし、暗闇の奥に埋没した母親の姿を探す。
(糸切りによる遠距離攻撃──そして)
 ほんの少しの時間差を置いて、多関節の刀身が眼前に投げ込まれる。鼻先を掠めた剣は地面を抉る寸前で鋼線に引っ張り上げられ、さらにその切っ先が別の糸切りに角度を与えた。さらには手首の動きも加わることで、それぞれの武器が別個の生き物のように闇を蠢く。
(蛇腹刀による中距離攻撃──同時に糸切りとの連携!)
 だが、まだ終わらない。多関節の刀身を振るいながら、ムイネイは一気に十メートルの距離を詰めて接近してきていた。低く振り上げた蹴りが足首を狙ってくる。咄嗟に剣を盾代わりにするが、その反動をも利用してムイネイは跳躍した。同時、飛び上がったその足で蛇腹刀の刀身を蹴りつける。軌道を変えてきた剣にそっと掌を押し当て力を受け流し、ソライロはその場に両足を突き立てた。
(さらに体術による白兵攻撃──全距離攻撃の維持と連携!!)
 体術を根幹にした《回閃》の対極に位置する殺人剣技。
 それはまさしく、剣術を根幹にした《回閃》とでも評すべき闘法だった。距離を置いて回避することは意味がない。だからといってみだりに動き回ることにも意味はなかった。ありとあらゆる距離、角度から撃ち出される攻撃は全てが有機的に連結し、一撃一撃がまた別の攻撃を発生させる。遠距離から相手の反応を一切許さず接敵し、檻のように周囲を取り囲むことで戦いの選択肢を限りなく減じさせていく。防御することすら意識的に行うには難しかった。迫る刃から一瞬でも注意を逸らせば、瞬く間にそこから派生する全ての攻撃に追いつけなくなる。
(殺人剣技──まさに、人殺しのためだけに特化し錬磨された魔技……!!)
 金属音同士が擦れ合い、音の牢獄に囚われたような感覚を味わう。攻撃に移る隙などどこにもなかった。疲労による速度の低下があって尚、ムイネイの攻撃には割り込める隙がどこにもない。かつて自分が敗北し、いつかは勝利しようと目指した強さを改めて体感する。
「だけど──負けません!」
 欲するのは極大ではなかった。異形の剣技に力で対抗したところで競り負けるのは目に見えている。そもそもそんな戦い方をするつもりはなかった。力で押し切る強さも、速さや技に頼り切る強さも、もう今のソライロにとっては価値がない。それらは結局、傷つけ合うことによってしか理解することのできない強さだからだ。
 剣の背で短刃を滑らせ、二本突き出した指で蛇腹刀の軌道を微かにずらす。突風のように繰り出される拳撃をすれすれでかわしながら、ソライロは少しずつ集中力を尖らせていった。
 自らの感覚を大長剣に同化させていく──意識の中ですら沈黙し、ただひたすらに繰り出される技を打ち破るための一手を思い描いた。
作品名:紺碧塔物語 作家名:名寄椋司