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紺碧塔物語

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 理想とする動きを脳裏に描き、さらにその理想を体現することを肉体に課す。決して不可能ではないはずだった。自分が今襲われているこの剣技こそ、まさしく理想の剣技に近い。
 長距離から攻撃を維持しながら接近、全ての動きが次撃を発生させる契機となり、敵を打ち倒すまで止まることのない剣撃。幾多の剣士が夢想してきたことを、ムイネイなりの解釈で実現した剣技だ。
「お──ぉおぉッ!!」
 ムイネイの叫びが森の彼方までを貫く。獣達すら怯えてその気配を表そうとはしない。ひどく静謐な空間を、明確な殺意の軌跡だけが埋め尽くしていく。
 ソライロは大長剣を最小限の力で振り回し、全ての攻撃に微かな力を加えて受け流していった。そもそも派手に動き回ることが封じられているのだ。度重なる打撃と疲労により、体力はとうの昔に限界を迎えている。
 それでも──既に諦めることなど止めてしまったから、戦いを続ける他に道はない。
 剣閃が生み出す空気の流れに押されるような心地を味わいながら、肩や指、剣の背、肘などで攻撃を相殺していく。
(最小の動き、最小の力──目指すのは極大ではなく精緻の極み!!)
 極論してしまえば、それは最弱の剣技とでも言うべきものなのかもしれない。だが、ソライロにはもうそれで充分だった。自分の弱さは嫌という程自覚している。ただ敗北さえしなければ、他には何もいらない。勝利のために相手を傷つける刃すら捨て去ってしまえる自信があった。
 迫る轟音に右半身を捻り右拳をかわす。背中から四条飛来する短刃を、その場で剣ごと一回転して弾き返し、ソライロは空になった肺へ無理矢理酸素を押し込んだ。何度となく深い眠りへ落ちていこうとする意識を奮い立たせ、顔面を狙って放り込まれる爪先を髪の毛に掠らせる形で流す。伸びきった膝の上に掌を添えて微かな摩擦を送り込み、足の戻りにほんの少し遅れを与える。絶え間なく振り乱される蛇腹刀がその関節を戻して一本の剣に変形する瞬間、ほんの数秒にも満たないようなその一瞬を逃さず軽く指先で小突いた。
 刀身がぶれ、狙いを定めるために数秒の間隔が空く。
 さらにその隙へと体を割り込ませ、ソライロは剣を逆手に構えた。長大な鉄塊が鋼線の進路を微かにずらす。
 決して力でねじ伏せる防御ではない、逆に力を与えることによって方向性を変える防御。考えてそうしたわけではなく、母親に勝利することを求めた挙げ句に肉体の返した答えがこれだった。檻の如き猛攻が綻び、少しずつそのリズムを変調させる。ムイネイが雷鳴のような斬撃を振り抜いた瞬間、ソライロは残された全ての力を振り絞って両足を前へと投げ出した。額をムイネイの胸に押し付け、両腕をその腰へと絡ませる。
 握りしめた柄が軋む音を聞いた。
 視界がぼやける。痛みや疲労より、さらに深く感情を支配するのはどうしようもない感動だった。これまでの十数年、人生の大半を戦場で過ごしたというのに、思い出すのは母親と過ごしたささやかな日々のことばかりだ──絶対に覚えているはずのない幼かった頃の会話も、不思議と今なら思い出せる気がした。
 押し当てた額。
 ムイネイの脇をすり抜けて、その背後へと回す自らの両腕。
 しっかりと右手に握る剣の柄と、長大な刀身をかろうじて支えている頼りない左手。
 刃を押し当てるのはムイネイの背中だった。精緻な力の連続によって少しずつ相手の攻撃を乱し、絶対に回避不能な位置にまで近付き──回避不能な、超至近距離での攻撃を加える。
 全てが終わった後に確認できたのはそこまでだった。
 ムイネイを抱き締めるように。
 ソライロは、母親の背中に押し当てた《明けの明星》を地面に落とした。泥の跳ねる音が奇妙に心地良い。
「……これが──おまえの、強さか。ソライロ」
 自分では頷いたつもりだった。だが、どう考えても既に筋肉の支配は手放してしまっている。
 夕陽が落ちるような緩慢さでなんとか唇の端を持ち上げ、笑みではない笑みを形作った。
 柔らかな胸にその微笑みが伝わったのか──髪を優しく撫でる掌の温かさに泣きそうになる。
「おまえの、勝ちだよ」
 湿った空気に母の声が滲む。
 落ちる月明かりも見えなくなった頃、ようやくムイネイは言葉を続けた。
「……もう──何にも負けない力を、見つけたんだな……おまえは」
「お母様……」
「無理すんなよ。どうせろくに喋れやせんべさ。あんだけ大技食らって立ってる方が不思議しょ」
 母親の言葉遣いが、平素のものに戻っている。切っ先を収めることより何より、それは明確な戦いの終焉を告げる音色だった。
 決して無為ではない──どこまでも優しく染み渡る、ずっと側にあって欲しいと願っていた声。
 いつかはその下から旅立っていくけれど、それでも忘れることは決してない声。
 ムイネイの体にしがみつくようにして立ち、ソライロは今にもくずおれそうになる膝を叱咤した。
「私、は……」
「……なんだ?」
「私は……空の色に、なれました、か──」
 たとえどんなに離れていても。
 たとえどんなに変わってしまっても。
 果てまで続き、様々な色に染まりながら失われることのない空色に。
「……ああ。おまえはソライロだよ。大切な私の娘……ソライロだ」
「……お母様」
「私は私のために戦う。おまえはおまえのために戦えよ。もう、戦うってことの意味は、わかったっしょ?」
 戦うことの意味。
 それは──

「──見つけ出すこと」

 立ちはだかる闇を打ち払い、進むべき道を自ら見つけ出すこと。
 そのために戦い続ける。
 どれほど愚かと罵られようと、諦めることはもうやめたのだから。あとはただ走り続けるだけでいい。ときには歩いても、一休みしたって構わない。
 楽しいことも楽しくないことも。
 きっと何もかもがうまくいく。
 そう信じて。
「お休みなさいませ……大好き、お母様」
「お休み……大好きだよ、ソライロ」
 今はただ深い眠りの中へ。
作品名:紺碧塔物語 作家名:名寄椋司